ベンチャー企業の参入

 『米国科学アカデミー会報』は、ベンチャー資本家ケイシー・ハーリンテンにとって、飛行機向きの雑誌ではなかった。だが、出張にでかける際、恋人の隣の座席に座ると、ハーリンテンは一九九六年十一月の『ディスカバー』誌に掲載されたファージに関する記事を読んだ。その記事は、数力月前のレーダーバーグの論評を読んで興奮しただろうよりもずっと彼を興奮させた。それは「よいウイルス」という見出しの記事で、医療ライターのピーター・ラデツキーが「デレルの信用されなかった発見が、注目を浴びるかもしれない」と書いていたのである。いわく、ふたりの著名な科学者、オースティンのテキサス大学の遺伝学者ジムーブルとアトランタのエモリー大学の集団生物学者ブルースーレヴィンは、一九八〇年代のファージ実験を再開することを決めた。そしてイギリス人のスミスと(ギンズが勣物におこなったファージ実験を、厳しい管理のもと再現したところ、驚いたことに、ファージは致死性の病原性大腸菌から、ストレプトマイシンを投与した場合よりも数多くのマウスの命を救ったのである。そしてエリアヴァ研究所でおこなわれた研究についても、ラデツキーは説明した。「グルジア国立小児病院の医師によれば、薬剤耐性菌感染症の治療にファージが大きな成功をおさめてきたため、病院では治療を受けにきた子どもひとりひとりにファージを予防薬として与えるようになった。エリアヴァ研究所は、まだファージを生産しているし、ファージによる利益は増大してはいるものの、不幸なことに研究所の壁そのものが崩壊の危機にある」と、ラデツキーは記した。「わたしたちは、みじめな状態にあります」と、ニーナーチャニシヴィリのことばが引用された。「いまでは、研究所のファージは半分ほどに減ってしまいました。しかし、あることはあるのです」

 記事を読み終えたハーリンテンは、興奮を抑えることができなかった。彼は科学については無知に等しかったが、チャンスを見いだす目だけはもっていた。彼はそれまでにも最前線のテクノロジーの特許をとり、数百万ドルという資金をつくっており、そのなかには「ブルーレーザー」も含まれていた。熱をくわえずに操作できるブルーレーザーは、初期のレーザーよりずっと小さくてより効率的だった。「バーチャルビジョン」は、コンピュータかカメラの画像を見られるシステムで、たいへん低いワット数のレーザーで符号化でき、スクリーンを使わずにヒトの眼の網膜に直接、走査させることができた。信じられないことに、ハーリンテンは、このふたつのテクノロジーを『ディスカバリー』の記事で知ったのである。「二度あることは三度あるにちがいない。いいかい、これこそ、善行で儲けるというめったにない、だが絶好の機会だぞ」と、ハーリンテンは恋人に話して聞かせた。