患者の痛みを理解しない者ばかりに

 

 偏差値の高い集団によって乗っとられた感のある大学医学部は、こういう事態とは異なった現象を生みだしている。徹底したエリート意識を己のものとする彼らは、競争社会の勝者としての視点しか持っていないので、弱者としての患者の心理構造などとても理解できなくなる危険性が充分にあった。

 前出の「神学社」の塾頭・入江神氏は、彼の私塾で開かれた同期生会の模様を語っているが、そこでは、「東大医学部、京大医学部への合格者が、まるで全人格が優れているかのようにふるまい、その他の大学合格者は彼らの前でひたすらうつ向いているだけだった」というのだ。

 東大医学部を定年退官した教授は、当時、次のように話していた。

 「正直にいって、今の医学部受験の様相はまったく異常です。医学を真剣に志すというより、とにかく優秀だからという理由で入学してくるんですからね。この風潮をなんとか是正しなければ、次代の医学者はまったく患者の痛みを理解しない者ばかりになってしまう懸念があります」

 東大医学部でも、入学者九〇人のうち一割近くは”精神的に疲労気味”という。勉強に明け暮れていたために疲労が極限にまで達していて、情緒不安定になっているというのだ。これが一過性でない者もいるというのだが、それだけにこの種の学生をどのように教育していくかが教授たちの頭痛のタネとなっている。

 「ライバルが減つたというのに」

 かつて東大医学部の教授のあいだで、次のような学生が問題になったことがあった。

 医学部一年生ふたりが、たまたま同じ下宿に住んでいた。ひとりの学生が授業に出てこない日がつづいた。医学部は生徒数が少ないだけに欠席は目立つ。そこで事務職員が下宿を訪ねてみた。その学生は高熱を出して寝ていた。すぐに入院させなければならないほどの重病であった。

 事務職員や教官は、もうひとりの学生に、「友人として、どうして面倒をみてあげなかったのか」と詰問した。するとその学生は、真面目な表情で次のように答えたというのである。

『物語 大学医学部』保阪正康著より