カナダの国境を越えて未承認の医薬品を送った
その日のうちに、オナーは、宅配便でハミルトンに二回分のランボーを送った。ファージがはいったガラス瓶をトロント空港で受け取った病院の職員は、急いで税関を通り、すぐさま車で病院に向かった。その日、ハミルトンの母親の胸を開いた外科医は、オナーにオンフックの状態で電話をつなげたままにし、感染した心臓に直接ファージを噴霧する方法を指導してもらった。企業家オナーは、自分なりに考えたやり方を電話で伝えた。医師たちはおまけとして、二回めの投与分のファージを静脈に注射した。
ファージは、オナーが願っていたより、ずっとみごとなはたらきをした。まず、感染した細菌細胞を破裂させた。そして、その細胞の破片を女性の血流に送り、免疫システムから強い反応を誘引した。こ の免疫システムの反応により、一時的に高熱が下がった。また併発した尿路感染症を根絶した。二十四時間後には、患者はすべての感染症から解放された。
病院とファージ・セラピューティクス社とのあいたで、内密にとの約束がかわされたにもかかわらず、このめすらしい劇的な一件のうわさは広がり、新聞記者たちが詳細を聞こうと病院に質問を浴びせはしめた。病院側は腹を立て、自社の製品を宣伝しようと秘密を漏らしたと、オナーを非難した。カナダの健康予防部門は、カナダの国境を越えて未承認の医薬品を送ったかどで、オナーを逮捕すると脅した。そのうえ残念ながら、その女性患者は結局死亡した。だが死亡したのは数力月後のことであり、オナーの説明によれば、多剤耐性黄色ブドウ球菌感染が死因ではなかった。感染症からは逃れたのだが、衰弱した心臓が力尽きたそうである。
その不運な結末にもかかわらず、西側諸国で最初のファージ療法のケースは、医学界に大きな関心をひき起こした。このおかげで、オナーは二回めの資金調達で三〇〇万ドルを工面し、事業の目標をヒトの臨床試験にしばった。まず、「目のブドウ球菌感染症にランボーを投与しよう」と計画した。これは局所の感染症であり、含まれる条件があきらかだからだ。そのあと、皮膚のブドウ球菌感染症、肺や尿路の感染症、そして最後にもっとも困難な挑戦である血液感染症に試せばいい。これは慎重な手順だったが、少なくともヒトの感染症に焦点がしぼられていた。植物や動物の感染症から試験をはじめるより、ヒトからはじめるほうが、早く承認を勝ち取ることができるし、利益を産む製品を早く市場にだすことができる。だが、「ファージ療法はしょせん、文字どおり、そして比喩的にも二軍のものなのだ」と、オナーはほのめかした。競争相手が、そこで植物や動物をいじくっているのなら、オナーはよろこんでほうっておいたのである。