岡山大学方式の改正

 

 筑波大学のカリキュラム編成の利点と京大の独自な入門講座での講義をミックスした形で、カリキュラム編成に力を入れてきたのが、岡山大学医学部である。昭和三〇(一九五五)年ごろから、医学部内で故・八木日出雄教授らを中心に「課程編成委員会」を作り、つごう十数回に及ぶ試案作成をとおして独自の新課程を作った。この間、医学部学生たちの意見もいくつか採用している。

 中央から離れていて、さほど文部省からの圧力を受けずにすんだために意欲的な取り組みができたといえよう。

 この「岡山大学方式」は、医学部に進んだ二年間に、基礎と臨床の講義を終え、第三年次には学生を十数人のグループに分け、研究室に入れてしまう。そこで臨床講義と実習のドッキングをはかる。研究室には学生を入れないで、教育だけにしぼっていた各大学の教育方法とはまったく異なる点に特徴があった。さらに、授業によっては基礎と臨床の教官が同時に講義に立ち、立体的に授業を進めるシステムも採用している。これだと、学生も理解が早い。さらに、講義概説と臨床修練が終わるたびに試験を行い、学生の理解度を確かめてから次の段階に進むのである。「実際に患者に接したこともないのに、講義だけを聞かせても仕方がない」という考えから、このシステムが実施されたという。

 しかし、このカリキュラムも昭和五四(一九七九)年一月から改正になり、以後は旧来の日本の大学医学部で見られるカリキュラムと似てきてしまった。大学側に、教官の不足、研究時間の削減といった問題が出てきたからである。

 岡山大学医学部学生会が発行している『学生会通信』は、ユニークなカリキュラムを消滅させてしまうもどかしさを、その時期、次のように訴えていた。

 「……学生の活動の弱さ、教官各層の活動の弱さも指摘せざるをえません。このように教育体制の改革への運動が盛り上がらない背景には、教師、学生に共通する思想性の欠如(患者を中心とした医療を目ざすという観点がない)があります。具体的には、①研究至上主義による教育軽視(大多数の教官にとって、教育はやっかいなものである)。②教育とはまったく無縁のところで行われる教授選挙(=権力争号。③患者を犠牲にすることにより成り立っている卒後研修などをあげることができるでしょう」

「これまで、臨床カリキュラム小委員会のだしてくる新カリ(案)に対して、“理念がない”との批判がしばしばなされてきました。しかし“理念がない”との批判は当然、私たち学生に対しても投げかけるべきです。私たちは理念を出せるだけの活動を展開していかなければなりません。医学教育改革に対する取り組みと医療変革に対する取り組みとの結合が求められています」

 カリキュラム作成に、主体的に学生が関わるだけの関心も興味も持っていないことを、はがらずも学生自身が嘆いていたのである。

『物語 大学医学部』保阪正康著より