防衛医大と産業医大の秘密主義

 

 ところで、当時、カリキュラムの内容を一切外部に知らせないでいたのが、防衛医大であった。

 二九七三年に開設したこの医学部は、純粋の大学医学部ではない。防衛庁設いて設置された準大学校で、正式には、防衛医科大学校という。当時の加納保之校長は、ことあるごとに「防衛医大は総合臨床医の養成が狙い」といい、そのための医師養成機関であると説いていた。

 しかし軍医を養成する医学校は、日本とフランスにしかなく、あえて軍事医学専門の大学校を創立するには、「それだけの意図があるのでは……」と勘ぐられてもいた。事実、ここの教授陣には思想的に偏向していると思われる教官が多く、医学・医療をその思想に合致させるのではないかという批判は、医学界内部でもかなりの懸念をもって語られていたほどである。

 入学案内のパンフレットには、専門課程の授業課目と修得時間数が記されていた。これだけを見るかぎりでは、他大学医学部とさはどの変化はない。しかし、なにからなにまで他大学医学部と同じであるなら、防衛医科大学校を作る必然性はない。そのころ、巷間ささやかれていた「細菌兵器研究をしているのじゃないか」という声に応えるためにも、単にカリキュラムだけでなく、研究テーマなども広く世に示すべきだったはずだ。

 防衛医科大と似たような医科大学に、産業医科大学がある。「労働環境の実態調査と労働者の健康に関しての専門医を作ろう」との狙いがあるのだが、各大学医学部の自治会役員は「労働災害を資本の側からチェックしよう」というのが本音だろうと、当時批判していた。

 この産業医大も六年間の一貫教育を行い、とくに実際的医学教育に力を入れている。しかし、この医科大学もカリキュラムは公開していなかったので、その実態には不明なところがあった。その後、ますます煩雑化してきた労働災害に対し、ただ経営者的管理の発想に基づく診療を行うのであれば、労働修復工場の医師といわれても仕方あるまい。

 防衛医科大とともに、カリキュラムを公開していなかったこの大学は、「本来の医学教育とは異なった教育を行っている」と当時いわれても、仕方なかったであろう。

『物語 大学医学部』保阪正康著より