新設医科大学の医師国家試験対策

 

 新設私立医科大学のカリキュラムには、一年次から医学専門課目が大幅にとりいれられていた。二年次には、もう基礎医学の課目が始まっている大学もある。ところが、六年次になると授業は臨床実習だけとなり、その時間もグンと少なくなる。他大学では六年次に行うことを五年次までで終えてしまうというのが、カリキュラムを作った大学側の意図であることは容易に理解できた。

 なぜこういうことを行っていたのか。新設私立医科大学の一教官は、当時、自嘲気味に語っていた。

 「はっきりいうと、国家試験の準備のために最後の一年間をあけているわけです。そうでもしないと、うちの学生は国家試験には受かりませんからね。もっともこんなカリキュラムを作ったところで、まだまだ合格率は悪いんだが……」

 新設私立医科大学のなかには、当時、入学生二一〇人のうち、六年後の卒業時には、五〇人余りしか履修単位を取得し終えることはできなかったところもあった。むろん学生の質の低下もあったのだが、大学側も国家試験の合格率低下を案じ、合格不可能な者は卒業させていないという。そうまでしなければ、医科大学としての面子を保てないという事情があったのだ。

 昭和五二(一九七七)年ごろから、新設私立医科大学の卒業生が国家試験の受験に挑戦するようになったのだが、このような大学は、常にワーストテンのなかに目についていた。創立時の“金権入試”がそのまま六年後にツケとなってはねかえってきているのだろう。

 新設私立医科大学のカリキュラムが、日本の医学教育を根本からくつがえしつつあるというのも、金権入試の学生たちをどうしても国家試験に合格させるという至上命令のもとで、「医学部の予備校化」をはかっているためだ。もっとも、このころ、国立大学医学部を定年退職した教官を取材した折には、一部の学生の能力があまりにも劣っていることをあからさまに憂うる声を聞いた。それは、予備校化をはかる程度のことで解決する問題ではないとも指摘していたのである。

 そもそも、こういった医学部の学生のなかには、高校の二年次に習う英文解釈や英作文などすら理解することができず、さらに、数学・物理学に至ってはなんど試験を行っても零点だった者までいたという。「こんな学生が、どうして医師になれますか。医学部より大学に進学してくること自体に誤りがあるのです」と、その教官は長嘆息して話していた。

 新設私立医科大学の「国家試験の予備校化」したカリキュラムのもとでは、日常的に次のような講義がなされていたという。「ここのところは国家試験には出ない」「呼吸器のこの部分は今度の試験には出るかもしれない」。

 教官のこの指摘によって、学生側の目が変わる。試験に出題される可能性のないところは、それこそ表面を撫でるようにすませ、出題の可能性の高い箇所はなんどもつめこむ教育が施されるというのだ。

 実際のところ、こういう医学教育のなかからどのような医師が生まれてくるのか、患者の側からの不安は尽きないし、今後はいっそう厳しい監視が必要になってくる。

『物語 大学医学部』保阪正康著より