エリートの本音

 

 東大医学部には、マフィアとして必須の要因でもある、個人の信条や思想を超えた同盟意識がある。

 昭和四二年から翌年にかけて起きた、全国青年医師連合(青医連)による医学部闘争の際、「関連病院に行くことをボイコットする」運動があった。これは、インターン制を解体するために、教授権力の全面的否定を旗印に掲げ、その一環として関連病院で無給医となることをボイコットした運動であった。たとえば、東大では、国立東京第一病院(現国立国際医療センター)、虎の門病院三井記念病院などの関連病院へ、無給の労働力として送られるのを拒否した。

 この動きに対して、関連病院の対応は二つに分かれた。

 ひとつは、「このボイコットは長期的につづかないので、人員の補充を短期間、見合わせよう」という病院。そしてもうひとつが、代わりに他大学の医学部学生を受けいれた病院である。

 他大学医学部にしても、このような機会を利用して「ジッツ(縄張り)」の拡大をはかろうとする思惑があったことは否めない。しかし、闘争が終結すると、他大学医学部生はすぐに関連病院から追いだされ、再び東大医学部出身者で固められることになってしまった。

 「忠実で優秀な他大学学生より、反抗的でもいいからわが東大生を……」、それが病院側に在職する東大出身者の医師・研究者の考えなのである。純血主義を守るという屈折した使命感とともに、東大医学部以外は「能力がない」と考えている事実を裏づけたのだ。

 この感情こそが、東大医学部を支える核になっているのである。

 こういった感情の構図は、大学医学部改革闘争を進める側にもあった。青医連の中枢は、結成時から東大医学部の若手医師たちであった。彼らが主導権を持ち、全国の各大学医学部自治会に説得に行って量的規模を拡大していった。

  しかし、昭和四〇年代半ばの東大闘争のときには、他大学医学部自治会の学生もしばしば東大に応援にきた。こんなとき、戦術をめぐって激しいやりとりが起こると、論理的に未熟だった東大医学部のとある学生が、論争に敗れて言葉につまったとき、不意に次のような嘲りの言葉を吐いたというのであった。

 「なんだ、おまえは。頭も悪いくせに、なにもできない奴がなにをいうか。悔しかったら、東大に入ってみろ」

 度しがたいほどの権威主義が、反体制を標榜する側にさえ抜きがたくしみついていたのである。

 当時の東大医学部の出身者が、以上のようなエリート意識を持っていたことは、充分知っておいたほうがいい。それを知らずして東大医学部内部を眺めていては、権威主義の権化である医局講座制を国民の側から強固に補完することになってしまうからである。病人はマテリアルと呼ばれていた日本の大学医学部を論述するということは、つまりは東大医学部を論述するということであるといってもけっして過言ではなかった。つまりここには、日本の大学医学部の歴史的功罪のすべてがひそんでいた。そして、その功罪が拡大再生産されて、全国の大学にまで及んでいたのである。

『物語 大学医学部』保阪正康著より