2014-06-11から1日間の記事一覧

権威ある学術誌

メリル、アドヤ、カールトンは、この連続継代に関する発見を論文で発表した。学術論文にともなう避けられない手続きに手間取ったあと、権威ある学術誌『米国科学アカデミー会報』 一九九六年四月号に論文が掲載された。このこと自体が勝利たった。おなじ号で…

ポーランド科学アカデミー

デレルは、妥協しない態度をつらぬいたが(それは一九四九年に死ぬまで変わらなかった)、ファージは嘆かわしいほどひどい扱いを受けつづけ、ペニシリンと抗生物質の時代が到来したこともあり、フアージの魅力は「鉄のカーテン」の陰に隠れ、西側諸国にはま…

ナチスによる大規模なファージ製造

非難に包囲された格好になったファージ発見者に公平を期するとすれば、たしかに、当時はだれも知りうることができないファージに関する事実が多くあり、ファージがどの程度直接、細菌に作用するかもわからなかった。初期の溶菌液は不純なものも多く、ファー…

『ファージの免疫の役割』

デレルが最初に赤痢患者の治療をおこなってから長い歳月が流れ、ファージ医療という新しい産業が芽生えた。一九三三年、米国医師会の機関誌に「ファージが多くの細菌感染症に広く利用されており、よく知られている製薬会社三社がすでに製造に着手している」…

研究論文をロシア語に翻訳

一九三四年十一月から一九三五年五月に及ぶ二度めのグルジア滞在中、エリアヴァといっしょになしとげた進歩にデレルはすっかり興奮し、個人的に調合していた化合物の試験を終えしだい、トビリシに移住し、研究所に常勤しようと決心した。この二度めの滞在の…

ティフリス細菌学研究所

実際、デレルはもう長年、ファージを治療に利用していた。一九一九年、デレルと同僚は、ヒトの下水汚物から集めたであろうファージを使い、重い赤痢に苦しむ十二歳の少年を治療した。「この混合物は安全だ」と言い聞かせ、デレルらは最初にそれをたっぷりと…

国際連盟の微生物学研究所

当然のことながら、デレルはこの非難に激怒した。残念なことに、彼は考えられる最悪の方法で反応することを選んだ。彼は、ほかの科学者も独自におなじ結論に達し、その後最初に論文を発表しようとしたのは事実であると認めることもできただろう。そう譲歩し…

細菌を食べる微生物

二年の研修期間に、エリアヴァは、南フランスの微生物学研究施設の常任理事の地位を提示された。「フランスには微生物学者がたくさんいる。だが、わたしはグルジアでたったひとりの微生物学者だ。グルジアはわたしを必要としている」と、彼は返答した。彼は…

致死性の腸炎をひき起こす細菌

デレルは二十歳で結婚し、モントリオールに居を構えて子どもの出産にそなえた。翌年、最初の子どもができると、自宅に実験室をつくり、地元の大学教授の協力を得て、自宅で微生物の研究をはじめた。学位もないデレルは自宅にこもり、科学や医学関係、あるい…

船上で黄熱病が集団発生

フェリックス・デレルは、生涯、ルイーパスツールほどには有名にはならなかったし、死後半世紀は--忘れ去られていたものの、ある意味で非常に劇的な個性の持ち主であり、真の悲劇のヒーローだった。強迫観念にとりつかれていたからこそ、すばらしい洞察が生…

腸球菌フェシウム

大半の科学者は、ファージの話が引きあいにだされると、まだ目をぎょろつかせてあきれたような顔をした。だが少なくとも、その存在には論争の余地がなかった。ファージとは、ウイルスである。だいたい細菌の四〇分のIほどの大きさで、地球上でおそらくもっ…

グルジアの研究者

ガートラーの治療にあたり、トビリシ共和国病院で、グラムーグヴァサリア博士は、いたって全体論的な方法で酵素、鍼療法のようなレーザー療法、電荷療法のようなものなど、さまざまな治療をほどこした。それからガートラーは、〈ファージバイオターム〉とい…

エバーグリーン州立大学

カナダに帰国すると、ガートラーは半年以上、シプロフロキサシンを服用したうえ、もうひとつの抗生物質を静脈注射で直接、血流に投与された。ところが、どちらの治療法も感染症を鎮めることができず、症状がやわらぐこともなかった。ガートラーは「まるで歩…

ペプチド関連の企業の株価

フレデキングは視線をあげ、恐怖で身動きできなくなった。捕食者のえじきとなる(ンターの恐怖。十数匹ものコモドオオトカゲが、四方八方から前進してくるではないか。捕獲されたオオトカゲが抵抗する騒々しさを聞きつけ、それにありつけるのではないかと、…

アンチボディ・システム社

アンチボディ・システム社は、テキサスに拠点を置く小さなバイオテクノロジー企業だ。社長を務めるデリー・フレデキングは、ペプチドなどの天然物質を動物にさがす作業に身を捧げていた。その物質は風変わりであればあるほどよく、薬剤耐性菌の薬の開発につ…

オランダのライデン大学

二〇〇〇年秋になると、マゲイニン社の重役たちはザスロフを信用しなくなっていた。ザスロフの発見がきっかけとなり、会社が興されたにもかかわらず、ザスロフは顧問に降格された。のちにザスロフは解雇されることを認めた。そしてマゲイニン社は方向性を変…

食欲抑制剤としてのスクアラミン

マゲイニン社敗北の結果を受け、「ペプチドが全身性の感染症に作用するはずがない」と文句を並べる連中もでてきた。「試験管のなかなら、ザスロフが使ったようなペプチドが細胞膜に穴をあけると証明できたかもしれない」ひとりのライバルはこう言った。「だ…

マゲイニン社の最新のペプチドMS1178

最後の試験結果を詳細に調べていたザスロフは、それほど楽観的にはなっていなかったが、勇気づけられた。軟膏ペプチドは、経ロオフロキサシンにくらべていちじるしくすぐれた結果をだしたわけではなかったが、ほぼ同程度の効果をあげていた。この臨床試験に…

勉強に追われつづける宿命

医学部のカリキュラムは、その講座を「なんのために」「どのようにして」「何時間」「誰によって教えられるか」ということがあらかじめ学生にも示される。それによって、教育内容を常に客観的に判断し、学問体系を把握できるようになってはいるか、学生は不…

もっともありふれたカリキュラム

東大医学部を頂点とする大学医学部、医科大学の医学教育は、以来、ほとんどこの時期の体系を受け継いでいる。 つまり、初めの二年間(学部に進む前の教養課程)の一般教養課目は、他学部と同じようにカリキュラムが組まれている。人文科学系、社会科学系、自…

インターン制度による戦前体制の温存

当時の医学部の教官の意見を参考にその点を探ってみた結果から類推すると、次のようなことが指摘できる。 すなわち、戦後の民主化の最中における医学教育は、軍国主義下の医学教育体系を根本から検討することなしに、接ぎ木のように新しい講座を設けたにすぎ…

研究至上主義の奴隷

東京帝国大学医学部が設立されて以来、大学医学教育はドイツの医学教育をそのまま踏襲したもので、基礎医学に重点を置いたカリキュラムが組まれていた。大正末期から昭和初期の東京帝国大学医学部のカリキュラムにおいては、臨床医学にはそれほど配慮がされ…

医科大学の乱立

単純な数値主義による医科大学の乱立は、医学教育にどのような変化を与えていくのであろうか。医学部入学試験がさまざまな矛盾を抱えながら、実際には具体的な改良がなされないまま毎年行われていたように、医学教育もまた、そのように進んできたのだろうか…

医学部の面接では何を確かめるのか

共通一次を機に、試験方法に独自のシステムが採用されることになったという点だが、これは具体的には、「面接」と「小論文」の大幅な導入を指している。「面接」と「小論文」導入の背景には、「医師は単に医療技術の習得者であるだけでなく、患者の心がわか…

医学部:共通一次テストの実施

共通一次テストの実施は、国立大学医学部の入学試験方法に少なからず変化をもたらすことになった。 変化の第一は、共通一次テストと各大学が独自に行う試験との比率をどのようにするかの判断である。第二は、各大学独自の試験方法が、共通一次テストを機に大…

リチャード・ノヴィック

細菌性病原体の分野でもっとも有名な研究者リチャード・ノヴィックは、フィセティの説に賛成しかねていた。フィセティのオフィスから二五ブロック南にあるニューヨーク大学スカーボール研究所で、A群レンサ球菌はずいぶん前にペニシリン耐性を獲得したにち…

ロックフェラー大学

社会経済、民族、性、年齢分布などの特徴はいっさい見られなかった。ニューヨーク市クイーンズでは、八歳の少年がこの菌に感染して死亡したが、どうやらみずぼうそうの傷口から感染したようだった。シカゴでは七十歳の男性が、一九九九年のその地域での一五…

CDC(米国疾病制圧予防センター)

アイダホ州ボイシの郊外で、デュスースティーヅンズは好奇心をつのらせながら、一九九〇年代のヒト食いバクテリアの定期的な出現を観察していた。もうとっくに人口の大半はヒト食いバクテリアにたいして集団免疫を発達させたにちがいないと、彼は感じていた…

壊死性筋膜炎

だが、なぜこの菌かおる人には感染し、ほかの人には感染しないのかは謎たった。もちろん、宿主側の要因も関係しているはずだ。さもなければ、一定の時間、のどにA群レンサ球菌を保菌していた健康な人たちの二割がひとり残らず壊死性筋膜炎にかかることにな…

『ニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディシン』

『ニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディシン』に掲載されたスティーブンズとシュリヴァートの論文は、専門家のあいたに興奮をまき起こし、それから一年もたたない一九九〇年五月十六日、マペット人形の製作者であるジム・ベンソンの衝撃的な死によ…