一流誌の論文は無批判に受け入れられるか

 

 さて、ではNew England Journal of Medicineのような一流誌に載る科学論文であれば、誰が読んでも文句なしの完璧な研究発表なのでしょうか。実はそんなことはないのです。いや、このような一流誌に載っている論文は世界中の専門家が注目して読んでいますから、しばしばその欠点や問題点が指摘され、侃々諤々の議論の元になるのです。

 例えば、イギリスのI流医学誌The Lancetに、麻疹・風疹・おたふくかぜの予防接種であるMMRワクチンが自閉症の原因(の1つ)になっているのでは、という論文が掲載されました(Wakefieldら、1998年)。ところが、この論文の内容は現在では誤りで、MMRワクチンを接種しても自閉症を起こすことはないと考えられています。自閉症になった子どもの多くはMMRワクチンを事前に接種されていますから、MMRワクチンを打った後に、自閉症になったという事実が残ります。それが、いつのまにか「MMRワクチンのせいで自閉症になった」と解釈したことから起きた誤謬でした。これも一種の三だ論法といってよいでしょう。

 この論文はなんと、「掲載に値しない」という再評価がなされ、The Lancetは「この論文は掲載すべきではなかった」と遺憾の意を表明したのでした。

 まあ、このような極端な例はそんなにしょっちゅうは起きませんが、それでも一流誌に載った論文は完璧で無謬なんてことはありません。実は、すべての論文にはいくつもの瑕疵があります。瑕疵のない論文は皆無です。したがって、医者は論文を読んで、「へえ、New England Journal of Medicineでこんな論文が載っていた。じゃ、言われた通りに明日からこの薬を使っちゃお」なんてのんきな解釈はしません。どんな雑誌に掲載されようと、論文はきちんと読んで、それが妥当な科学的な言説であるのか評価しなくてはいけません。これを「批判的吟味」と呼びます。

 もちろん、科学論文ですから瑕疵をなくすために最大限の努力を医学者は行います。データの量はどう設定されているか、データの質はどうか、論文の解釈は妥当だったか、と厳しい吟味を重ねていくのです。

感染症は実在しない(構造構成的感染症学)』岩田健太郎著より