小児病棟の待合室

 娘を病院に連れていくと、通常の検査とレントゲン撮影のあと、肺炎という診断がくだされた。白血球値が高く、マンディは、なんらかの感染と闘っているものと思われたため、もっと詳細な分析が必要となり、ふたたび血液が採取された。だが容態が急変するおそれがあり、医師はモナに「すぐにお嬢さんを車に乗せて、専門病院に連れていきなさい」と言った。

 数時間後、血圧は急降下し、酸素レベルが低くなり、マンディは、ミネアポリス小児病院の小児集中治療室で人工呼吸器につながれた。意識が乱れ、容態は深刻になった。「うちに帰りたい」マンディは母親に言った。

 「よくなるまで、ここにいましょうね」母親はマンディの手を強く握った。

 マンディは母親の顔を見た。つかのま、意識がはっきりしたようだった。「あたし、死ぬんでしよ、ママ」

 「なに言ってるの、マンディ。よくなるわ」

 「ううん、ママ」とマンディ。「あたし、ここで死ぬんだ。わかるのよ」マンディは母親を見た。そこには怒りや不安はなく、ただ自分の身になにが起こっているかを理解しているという視線だけがあった。

 集中治療室の医師たちには、マンディの感染症がなんであるのか、正確なところがわからなかった。検査結果が届いたときには、もうマンディに回復の見込みはなかった。医師たちは、鼻から酸素チューブを抜きとろうとするマンディに大量の鎮静剤を投与し、山ほどの抗生物質を投与したIセファソリン、エリスロマイシン、シプロフロキサシン、クリンダマイシン、ゲンタマイシン、オキサシリン、ぺサンリン、リファンピン、そしてバンコマイシンを。

 感染症の専門家キラン・ベラーニ医師が、奇妙な重い細菌感染症が小児病棟で発生したという知らせを受け、ミネソタ大学病院からやってきたのは早朝のことだった。モナとマークは、ぐったりした様子で小児病棟の待合室に座っていた。ほとんど眠れないまま、隣室の折りたたみ式チェアベッドで一晩を過ごしたのだろう。モナはベラーニを見やると、記憶をたどり、そしてはっとしたように口をあけた。「ああ、神さま。呼吸器のウイルスに感染したとき、赤ん坊のマンディを治してくださった先生」と、モナは言った。

 ベラーニも、モナをおぼえていた。