ネイティブ-アメリカン


 「マンディの命を救ってくださった先生なの」モナは恋人にベラーニ医師を紹介した。「事態を把握できる人がいるとすれば、この先生よ」

 「ベストを尽くします」と、ベラーニはもごもごと言った。本当のところは、あまり希望をもっていなかった。検査結果はまだわかっていなかったが、顕微鏡で一目見ただけで、これはブドウ球菌のI種にちがいないと確信していたのである。マンディの重い症状を考えれば、だいたいの察しはついた。「マ匕アイは、アフリカ系か、ネイティブーアメリカンの親しいお友達がいますか?」

 モナは当惑したようだった。「さあ、いないと思いますけど」

 そのしばらく前に、ミネソタ都市部に暮らすアフリカ系の七歳の少女が黄色ブドウ球菌に感染し、ベラーニが診察にあたっていた。その黄色ブドウ球菌ペニシリンに耐性があるだけではない。そのころには、すでにペニシリン耐性黄色ブドウ球菌はめずらしいものではなかったIメチシリンなど、ペミソリンのあとを継ぐほかの薬にも耐性があった。MRSAに感染したのが小児であるとは、奇妙な話だった。だいいち、最近まで入院していた経験もない小児が感染するなどという話は聞いたことがない。MRSA院内感染。それが常識だった。ところが、この少女は病院に来たときには、すでにMRSAに感染しており、五週間後に死亡した。その後、ノースダコク州の辺地に暮らす生後十六ヵ月のネイティブーアメリカンの女児が、やはりMRSAに感染したものと思われた。女児は病院に到着して二時間後に命を落とした。ほかにも数件、ネイティブーアメリカンの子どもが感染した例があったが、幸い、死にいたらずにすんでいた。 ベラーニには、わけがわからなかった。なぜ、市中MRSAの感染者には、ネイティブーアメリカンの子どもが多いのか。民族性に関係があるのか、あるいはただの偶然なのか。どこが感染源で、どのように広がっだのかもわからなかった。ペラーニは、ブドウ球菌がたいてい皮膚の傷口から血流に侵入することを説明した。モナは、「でも、マンディには切り傷などなかったと思う」と答えたあと、「そういえば、唇に熱っぽい水ふくれができたと、こぼしていました。そこから感染したのかもしれない」と、つけくわえた。ベラーニは考え込んだ。それとも肺炎にかかったせいで免疫力が落ち、黄色ブドウ球菌が血流にはいりこんだのだろうか? 以前のネイティブーアメリカンの場合は、インフルエンザウイルスが子どもの免疫力を弱めていた。とくに呼吸器系が弱まっていたため、それがMRSAの足がかりとなり、鼻粘膜から肺への通り道ができたのかもしれない。鼻孔の微生物が肺にうつる、という仮説はまだ立証されていなかったが、医学誌の最新報告によれば、たしかにその可能性はありそうだった。