エンテロトキシン(腸管毒素)B型とC型

 おなじ日、シュリツァートは、ニューヨーク市のゲーリー・ノエルという内科医から電話をもらった。驚いたことに「市中MRSAが新たに発生し、こんどはひとりの少年が感染した」という。シュリヴァートは、おなじ助言を与えた。少年は免疫グロブリンGを投与され、数日後、MRSA感染症から回復し、自分の足で歩いて退院していった。この知らせに、シュリヴァートはわくわくした。そして、黄色ブドウ球菌に関する激しい論争の渦中に自分かいることがわかっても、不愉快には思わなかった。

 大学のラケットボールのコートでも真剣にゲームに没頭するシュリヴァートには「一匹狼」というニックネームがつけられていた。長身で細身、四十代半ば、力をたくわえたばねのような体格のシュリヴァートは、マラソン大会にも出場していた。二十四回の出場のうち、十八回は四時間を切るタイムでゴールしたと、シュリツァートは自慢げに話した。スポーツでは負けず嫌いで攻撃的だったし、自分の研究においても集団の先頭に立とうと躍起になるため、彼の態度にうんざりする同僚も少なくなかった。だがシュリツァートの毒素性ショック症候群に関する大胆な解釈は、タンポン内の空気がブドウ球菌の増殖を許すと二十年前に発表したときには広くあざけりを受けたが、いまでは完全に正しいことが立証されていた。そしていま、彼が市中MRSAのおもな死因となる毒素について大声で論じはじめると、彼を批判する人間もしぶしぶながら敬意を払い、口を閉じたのである。

 ミネソタ大学医学部の研究室長として、シュリヅアートは、さまざまな状況における毒素性ショック症候群の報告があがるたびにそのあとを追い、ミネアポリスセントルイスのふたつの町で毎年、十人以上の子どもたちが死亡していることを突き止めた。そして、こうした症例のほとんどの死因が、インフルエンザのあとに起こる肺炎か気管支炎であったという結論をだした。だが、子どもたちは、毒素を生産する黄色ブドウ球菌の株をもっており、それが毒素性ショック症候群をひき起こしたのだった。おなじ特定の毒素トシュリヴァートはこの毒素に「TSST-1」と名づけたIが患者の七五%に見られ、のこりの二五%のうち、ふたりにひとりは、エンテロトキシン(腸管毒素)B型とC型が見られた。シュリヴァートは、こうした毒素の成長に必要な空気を子どもの肺が提供したのではないかと仮説を立てた。