マクロライド、テトラサイクリン、そしてトリメトプリムースルフア 246メトキサソール耐

 クーンホフは、ペニシリン耐性肺炎球菌を確認し、その驚くべき発見を青年医師マイケルージェイコブズとわがちあった。ジェイコブズは、クーンホフに師事するためバラグワナス病院にやってきたばかりで、病院の微生物学検査室を引き継ぐことになっていた。ジェイコブズは驚愕した。これは驚天動地以外のなにものでもない、とジェイコブズは考えた。彼は小児病棟の患者の分離株の検査をはしめた。小児病棟には六〇人以上の高熱に苦しむ子どもが入院しており、あまり衛生的とはいえない状態で一台のベッドに二、三人がいっしょに寝かされ、たがいに咳き込んだり、鼻をすすったりしていた。三週間後、ジェイコブズは、多剤耐性肺炎球菌を発見した。その分離株はペニシリンやクロラムフェニコ ールに耐性かおるだけではなく、マクロライド、テトラサイクリン、そしてトリメトプリムースルフア 246メトキサソール耐性も身につけていたのである。

 これが、その病院で発生した最初の症例なのか、医学用語で言えば、指針症例であるのか、は、はっきりしなかった。ダーバンの場合のように、気づかれないまま、おそらくしばらくのあいた、子どもたちのあいだに感染は広かっていたのだろう。ジェイコブズに言えるのは、「まちがいなく、病原菌はおそろしいスピードで広かっている」ということだけだった。数週間後、子どもたちのほぼ全員がおなじ多剤耐性の菌株に感染していた。

 ジェイコブズは、こうした症例を調べるうちに、ひとつの共通する特徴を見つけた。子どもたちの大半が当初、はしかにかかっていたのである。典型的なものとして、心臓手術を受けにきた子どもが、病院ではしかにかかり、隔離して回復させるために熱病患者専用の病棟に送られ、そして手術を受けに病棟にもどってきた例があった。手術後、子どもは多剤耐性肺炎球菌に感染した。この菌株は、その時点では病院内でしか発生していなかったが、それも妙な話たった。というのも、肺炎球菌はふつう市中に棲みつき、咳やくしゃみの飛沫によって簡単に広がると考えられていたからだ。だが、もしかすると、この地域の幼児はこうした菌株のおだやかな型にもっと早い時期にさらされており、免疫を強めてきたのかもしれなかった。それとは対照的に、病院内の幼児は免疫力が弱っていた。入院中の子どもたちが、はしかのようなウイルス感染症にかかれば、気道に損傷を受け、肺炎球菌が定着する肥沃な土地を提供する。肺炎球菌感染症の最悪のケースは髄膜炎であるが、その治療のためペニシリンにくわえてクロラムフェニコールによる治療が長期にわたる安上がりの治療として選ばれてきた。際、クロラムフェニコールとアンピシリンの組みあわせはよく効いた。ところが、こうした肺炎球菌株の問題は、ぺ二シリンにもクロラムフェニコールにも耐性があることだった。だから、どちらの組みあわせでも効果があがらない。最善の代替薬はバンコマイシンだったが、この薬は高価で、南アフリカのような貧しい国にとって、とても手の届くものではなかった。