南アフリカ、そしてニューギニアの菌株

 集団発生が広がるにつれ、研究者たちはオーストラリアのデイヴィッドに連絡をいれ、彼の十年物のペニシリン耐性肺炎球菌の株をわけてくれ、と頼んだ。その菌株は、アフリカのものとは異なった株はペニシリンだけに耐性があったのだ1が、ニューギニアの菌株が、南アフリカの菌株の前駆体であるとみなせるほどには近かった。ほどなく、類似の菌株がスペインに出現し、四方八方に広がっていった。やはりこの耐性菌も病院で発生し、集落をつくり、最後には市中の子どもたちに感染した。理由は不明だが、南アフリカ、そしてニューギニアの菌株は、ほかの国に感染を広げていくことはなかった。だが、獲得した領域を明け渡そうとはせず、二十五年だっても、根深い耐性菌のままたった。ふたつのパターンに分かれた菌株は、それぞれ世界に定着したのである。

 アップルホームとジェイコブズはいぶかった。どうやって耐性菌はこんなことをやってのけたのだろうか?耐性メカニズムのいったいなにが、あのペニシリンやほかの薬剤に、つきからつぎへと対抗しているのだろう? そして、どうやって耐性は国から国へとやすやすと広かっていったのだろう? この疑問に答えるには、クーンホフとジェイコブズには遺伝学者の先生が必要たった。その後、アップルホームが根にもつことになるのだが、ふたりはアレクサンダー・トマツに連絡をいれた。