ヨーロッパ

 送った分離株についてクーンホフが説明すると、「少なくとも数十年前に、黄色ブドウ球菌ペニシリンに対してしたことを、肺炎球菌がおこなう様子を見ることができるだろう」とトマツは請けあった。つまり、ペニシリンの化学的な環を切り離すことのできる酵素の遺伝暗号をもっている遺伝子を、肺炎球菌が取り込むのである。ひょっとすると、南アフリカの肺炎球菌株は、このペニシリテーゼという酵素を、黄色ブドウ球菌から直接、獲得したのかもしれない。

 トマツが驚いたことに肺炎球菌は、これまでだれも見たことがない、もっと複雑な方法に順応していた。南アフリカペニシリン耐性菌株は、ほかの細菌から取り込んだDNAを利用し、実際に細胞の空洞の設計を変更し、薬をその空洞にうまくはめ込み、再設計した空洞を使って細胞壁をつくるよう「労働者たち」を「再教育」する。トマツは、この攻撃を、ロシアから複雑な新兵器を購入するイラクのような、ならず者の国家によくたとえた。「イラクは、テクノロジーを買うだけではなにも達成できないので、システムを組み立て、それを維持するためにロシアの技術兵も必要とするだろう。南アフリカの肺炎球菌株は、その新しい空洞と労働者の指示により、ぞっとするほど大きな飛躍をなしとげたのだ」

 トマツが、南アフリカの菌株を研究していたころ、スペインでは聡明な同業者エルミニアーデーレンカストレートマツがのちに結婚する女性jが、もうひとつの、より広域の耐性をもつ菌株の証拠を さがしはしめた。スペインでは抗生物質が市販されているのが当然で、ヨーロッパのほかの国にくらべ  て耐性が強くなっていた。やがてレンカストレは、非常に近い関係にある耐性菌がふたつあることに気づいた。その耐性菌が広がった国名から、彼女はふたつの耐性菌に、スペインーUSA菌株、フラッスースペイン菌株と名づけた。