帝国大学が輸入した社会医学

 

 東大医学部の一〇〇年余にわたる歴史には、問われなければならないいくつかの問題がある。無数に行われた人体実験、軍国主義的侵略戦争下での医療協力、さらに国家権力の先兵と化しての医学研究の数々である。私は、基本的に、それらの医療行為は国民的次元で一度徹底的に論議すべきだと考えているが、医学・医療の封建的体質に関心は持ちつつも、その専門的領域には無知な点が多いので、ここで詳述することはできない。

 しかし、二つの点に絞って、疑問を呈示しておきたい。

 一点は、明治からの社会医学の発展に対して果たした、負の役割である。

 公衆衛生学・衛生学という学問は、広義には「社会医学」の範疇に入る。国民を疾病から守るために、社会的に衛生環境を整え、健康管理を効果的に行うための基本的な学である。第二章で検証したように、大学医学部でのカリキュラムにはこの課目がとりいれられ、医学部学生に予防医学を教育するときの重要な基礎教育となっている。

 広義な意味での社会医学の概念が日本に入ってきたのは、かなり古い。東大医学部教授だった田中恒男の著作(『社会医学の考え方』NHKフックス)によると、大正三(一九一四)年であったという。それまでにも、明治の初めにドイツ医学の視察に赴いた長与専斎により、衛生行政の発想は導入されてはいたが、それは、伝染病撲滅にある程度の役割を果たしつつも、社会的な広がり、すなわち社会環境の改革を実現するまでには至らなかった。

 社会医学は、本来的には研究至上主義の大学医学部と対峙する面を持つ。基礎医学に隷属していた臨床医学とも異なり、疾病に罹る前に予防するための方法の検討が必須条件となるからだ。究極的には、「社会変革をいかに実現するか」、その具体的な施策を考えることに結びつけなければならない。労働者の置かれている環境とその生活の改善、さらには社会体制そのものが持つ国民の健康への無関心さを徹底して改革していくのである。

 実際、そのような方向に東大、すなわち当時の東大医学部での研究活動は起こった。明治二七(一八九四)年に卒業した横手千代之助か著した『横手社会叢書』、大正八(一九一九)年卒の国崎定洞による、カーエス著『社会衛生学』の翻訳書などがその例である。

 また、大正末期には、医学部学生の有志から成る「社会医学研究会」が、大正一〇年代の日本の医療実態を分析した著作を刊行している。この本は、東大生で構成する「新人会」との有形無形の関係を持ち活動するなかで抱いた、当時の日本の医療政策への疑問をぶつけたものであった。

 当時の日本の医療は、イギリスなどヨーロッパで普及していた開業医システムと異なって、一般の商品販売と同様に自由営利医制度をとっていた。この営利医制度は、実際には、国民の大多数が”医者にかかるときは死ぬとき”という諦観を持つほど敷居の高いものであった。社会医学研究会の対象は、このような制度に対する疑問でもあったのである。

 この著作は、思想警察の注目するところとなった。昭和に入ってからの思想弾圧と軍事大国への地ならし、対外的軍事挑発が国是となっていく時期から、戦争が勃発して国民の生活が困窮していく時期、社会医学特高に狙い撃ちされていったのである。

 昭和六年の満州事変以後、医師・研究者は工場の労務担当医としての役割を担わせられ、工場災害防御のための環境作りに狩りだされていく。労働者の健康管理は、軍事強国化のための布石として利用されていくのである。

 この時期、社会医学は、二つの方向を辿る。ひとつは、社会医学研究会の路線ともいうべきセツルメント、さらに、社会主義運動に連帯しての医学・医療の全面的協力といった側面である。もうひとつは、国策に協力して労働生産性を高めるための労働環境の研究であった。

 個人の良心を重んじ、前者の方向に走った研究者もいないわけではない。だが、その数は少なかった。一方、後者に積極的に協力していったのが、当時の東大医学部であった。

 ことはそれだけでは終わらなかった。社会医学に対する圧力が徐々に高まり、この種のカリキュラムは消えていき、それに好意的な医師・研究者は大学を追われた。むろん、正面切っての抑圧が始まったのではない。彼らに対する監視やさりげない追放という役割を、本来味方であるはずの医学部教授の一部が行ったのである。体のいいパージであった。

 そして、ある者は理想を追って農村医療に赴き、またある者はやむにやまれず地方の公立病院に散っていった。

 国家権力からの抑圧に対して、医局講座制下における研究至上主義は、「研究の自由」に対峙してしまっていた。美濃部達吉の「天皇機関説」に対する右翼からの攻撃に際し、経済学部内に供応する教授勢力があったように、医学部においても同じような事態が起きたことが指摘できるだろう。

『物語 大学医学部』保阪正康著より