夕バコによる健康の障害

肺の病気をさけるための第一次予防とは何か、考えてみたいと思います。

 じつは、私か外来で診る高齢の患者さんの七〇%以上が、長年にわたるタバコが病気をおこしたか、あるいは増悪させた要因と考えられる人です。一様にタバコがこんなに体に害になるとは知らなかったと言われます。タバコは肺がん、肺気腫など呼吸器疾患だけではなく、動脈硬化を促進する結果、心筋梗塞狭心症など虚血性心疾患の原因としても重要です。今日、夕バコによる健康の障害は、白内障骨粗鬆症を悪くするだけでなく、消化器系のがんを増加させるという報告まで、膨大な科学的データの蓄積があります。なかには、喫煙女性は喫わない人にくらべて目じりのしわが多いという、若い女性にとっては聞き捨てならない報告まであります。タバコが原因で慢性閉塞性肺疾患をおこす割合は二〇~三〇%前後といわれています。しかし、嗜好品のなかで二〇%もの人が直接、健康被害を受けるものは他に見当たりません。タバコが健康を害し、有害であることは、いまや議論の余地がありません。

 アメリカではタバコによる死亡者数は年間四〇万人に達しており、全死亡原因の首位で一九%を占めると報告されています。そのため社会全体が被る損失は五〇〇億ドルと見積られています。人口がアメリカの半分で、喫煙率は男女平均すればアメリカと同じ、日本でのタバコによる死亡者数が年間どのくらいになり、また社会全体に与える損失がどのくらいに達するかについては、残念ながら正確なデータがありません。

 一九九四年、シンガポールで環太平洋地域諸国からの研究者を集めた呼吸器疾患学会が開催され、アジア地域におけるタバコの問題が討議されました。アジア諸国のなかでは、シンガポール、オーストラリア、ニュージーランドでは喫煙率の低下がみられていますが、日本を含む多数の国々ではまだ高い喫煙率がっづいています。男性喫煙率が依然六〇%を超えている国は、カンボジア、中国、日本、韓国、フィジー、フィリピン、パプアニューギュア、トンガなどです。一方、オーストラリア、香港、ニュージーランドシンガポールでは三〇%以下に減少しました。女性喫煙率が二五%以上であるのは、ミャンマー、オーストラリア、ニュージーランド、太平洋諸島の国々でした。中国では女性喫煙者は七%であり、香港、シンガポールベトナムでは五%以下です。

 現在、全世界で毎年、約三〇〇万人がタバコに関係するとみられる原因で死亡し、うち開発途上国における死亡者は五〇万人であると報告されました。しかし、西暦二〇二五年には開発途上国における死亡者数が七〇〇万人に達すると予想されており、うち二〇〇万人が中国人により占められると予想されています。

 タバコによる被害は明らかに開発途上国が中心になる可能性が高いといわれています。このような国に対し、先進諸国から積極的にタバコの輸出がおこなわれていることは、フェアな経済的活動とはいえないのではないでしょうか。一九九八年、アメリカ、シカゴで開催されたアメリカ胸部疾患学会年次総会では、現在、北朝鮮を除く全世界で国の政策として禁煙キャンペーンがなされていると報告されました。禁煙キャンペーンは、じつはかなりの費用を要するものであり、開発途上国では活発におこないえないという事情があります。これらの諸国では禁煙運動を国レベルで進めることが困難なのです。積極的な支持体制をつくっていくことが必要であると提言されました。

 わが国における問題は、女性喫煙者、若年喫煙者の増加です。男性にくらべると女性のほうが肺気腫がおこりやすいといわれています。とりわけ中学生、高校生による若年期からの喫煙者の増加は、将来、中年期、老年期で呼吸器疾患だけではなく、悪性腫瘍、動脈硬化による虚血性心疾患の患者を多発させる可能性があります。いずれも医療費がかさむ病気であり、いったん発症すればみんなで支えあってつくっている健康保険に対しても大きな負担を強いることになります。また患者の苦しみは強く、患者を支える家族も大きな犠牲を被ります。

 自分が喫煙者でもないのに、まわりで喫っているため喫煙の障害を受けることが大きな問題になってきています。家庭や職場で常時受動喫煙となっている人では、虚血性心疾患の発症が九一%、ときどき受動喫煙する人では五八%増加すると報告されています。このように受動喫煙により、タバコを喫わない人たちまでが虚血性心疾患にかかりやすくなるということが医学的にも影響が証明されたと報道されています(毎日新聞、一九九八年一月一五日)。間接喫煙に週に二〇時間ていどさらされる人も、周囲で禁煙が徹底している人とくらべると、動脈硬化進行の度合は平均二〇%高かったといわれています。呼吸器の問題についても受動喫煙の有害性に
ついては多くの報告があります。

 第一次予防という点では、まず完全な禁煙環境をつくりあげることが重要です。

 空気が汚染された環境で働く人には呼吸器疾患の発生が多いことが、いろいろな疫学調査から明らかになっています。それも私たちが診る患者さんでいえば、自営あるいは街の小規模な工場で長く働いていた人が多いようです。中規模以上の工場では安全な労働環境の整備に注意 が払われているのでしょう。しかし、自営あるいは小規模の工場では十分な対策がなされていないことがあるのではないでしょうか。「経済性」を最優先して事を進めた場合、後で大きなツヶがまわってくることを忘れてはなりません。