アルツハイマー病

 

 老年性痴呆症の患者の数は高齢化社会の到来とともに着実に増加しているが,そのうちの何割かは1907年にアルツハイマー(A. Alzheimer)によってはじめて報告されたアルツハイマー病(AD : Alzheime内disease)に罹患している. ADの特徴は脳の中に神経原線維と老人斑(senile plaque)が形成され,脳血管がアミロイド変性を起こすことである.ここでアミロイドとは各種臓器に沈着する線維状物質の総称で主成分はタンパク質からなり,コンゴーレッドで桃色に染色され,偏光顕微鏡下では緑色偏光が観察される物質である.アミロイドの沈着により神経細胞は変性し,その結果,患者の脳細胞は徐々に死滅し,脳は萎縮して痴呆の病状が進行してゆく.

 

 一般のADがどの程度遺伝性であるかどうかはいまだに確定していない.しかしながら,明らかに単一の遺伝子変異が原因で遺伝性に発症しているいくつかの家系が存在することも事実である.実際,ポジショナルクローニング法によってこれまでに別々の家系から以下に列挙するような4つの原因遺伝子が単離・解析されてきた.

 

 アミロイド前駆体タンパク質(APP : amyloid precursor protein)は老人斑の中心部に沈着しているアミロイドから抽出されたβタンパク質(別名はA4ペプチド)の前駆体(695アミノ酸)であり,細胞膜を1回貫通する受容体様の構造をしている. APP遺伝子に変異が起きたりAPP分解酵素の制御に異変が起きると異常なAPP切断が起こって不溶性のβタンパク質が切り出され,脳組織にアミロイドとして沈着すると考えられている.

 

 アポリポタンパク質E(アポE)は,体によいタイプのコレステロールとして知られる高比重リポタンパク質(IIDL)の一成分であり,血液中の脂肪輸送タンパク質の一種である.神経細胞のうち細く延びた軸索を補強する役割も持つ.65歳以降に遺伝的にADを発症する家族性AD症の原因遺伝子をポジショナルクローニンブにより探索した結果,アポEの変異が原因であることがわかってきた.アポEにはE 2, E 3, E 4という3つのタイプが存在する.われわれはこれらのうち2つを遺伝的に引き継いでいる.このうち両親からともにE4を受け継いでE 4/E 4 の組み合わせを持った人はADを発症しやすいという.実際,家族性AD症の80%以上の患者や,家族性でない孤発例の患者の約半数が少なくとも1個のE4を受け継いでいた.一般にE3はタウタンパク質を軸索にくっつけて構造を補強できるがE4にはその作用がなく,タウタンパク質で補強されていない軸索は壊れやすい.さらに遊離したタウタンパク質は絡み合って脳組織を変化させるという報告もある.E4はアミロイドタンパク質を凝集させる性質もあるという.しかしE4を2つ持っていてもADを発症しない人もいるため,E4はAD発症の危険因子ではあるが確定診断の証拠となるほどではないということに落ちついている.ちなみにE2は珍しく,E4を持っている人でももう一方がE2であれば危険率は下がるという.

 

 プリセニリン1とプリセニリン2は,中高年から発症する2つの別々の早期発症型家族性AD家系からクローニングされた類似のAD原因遺伝子である.プリセニリン1,プリセニリン2タンパク質はともに神経伝達物質受容体(7回膜貫通型)に類似した構造をしており,脳内では神経細胞に発現されている.ある家系の患者では遺伝子のスプライシングの変異が原因で欠損プリセニリン1を産生している.その他の家系では点変異が原因のアミノ酸置換が起きていた.大切なことはプリセニリン1の変異がβタンパク質(Aβ42)の産生・沈着増加の原因となっていることで,“プリセニリン1の変異→Aβ42の沈着→老人斑の形成→神経細胞の変性・死滅→AD発症"という大まかなAD発症のプロセスの1つが全貌を現しかことにある.これが実際に患者の脳の中で起きているか否かは未定であるが,ADの病因解明に向けて大きな一歩が踏み出されたことを多くの研究者が感じ,研究が佳境に入っているところである.