遺伝子マーカー

 

 ヒトのゲノムは約30億塩基対からなるが,塩基配列には微妙な個体差が存在する.両親由来の1対の相同染色体に1対存在する対立遺伝子の間にも塩基配列の小さな差異が存在する.その違いを検出するために開発されてきたのが遺伝子マーカーである.

 

 塩基配列上の個体差が制限酵素の認識部位に位置する場合には,特定の制限酵素によるゲノム切断片の長さに違いが生じるために,サザンブロツトによってバンドのパターンの違い(これを多型性と呼ぶ)が検出される.これを制限醉素断片長多型性(RFLP : restriction fragment length polymorphism)マーカー,あるいはリフリップと呼ぶ.

 

 一方,ヒトのゲノムにはVNTR(variale number of tandem repeat)と呼ばれる,反復単位が7~40塩基対の単純な繰り返し塩基配列がみつかっている.VNTRの反復回数には個人差かおるため, VNTRの近傍のオリゴヌクレオチドを化学合成し, PGR法を用いて増幅すると反復回数の多い人ほど長いDNA断片を生じる.このDNA断片は多量に増幅されているためアガロースゲル電気泳

 

 ヒトのゲノムにはもう1つ,マイクロサテライトと呼ばれるCT, CAなどの2~7塩基の短い繰り返し塩基配列が存在することが知られている.マイクロサテライトも繰り返しの回数が個人によって異なるのでPCRによって検出することができる.このマーカーは個体間の差異がとても大きい点は有用であるが,偽のバンドが出やすく,判定に誤差が生じやすいので注意が必要である.

 

遺伝子の変異を原因とする遺伝性疾患

 

 遺伝的組換え技術の進展により,特定の遺伝子の塩基配列までもが決定されるようになってくると,医療関係者のあいだではこの技術が遺伝性病患の治療に使えるのではないかという期待がふくらんでいった.そのために,まず病気の原因となる遺伝子上の変異点を突き止めようとして多大な努力が積み重ねられた.

 

 分子レベルにまで解析が進んだ最初の遺伝性疾患は鎌状赤血球貧血症(サラセミア)である.サラセミアは血液中の赤血球に含まれるヘモグロビンが先天的に異常なため酸素運搬がうまくゆかず、慢性の貧血を起こしてしまう.この病患の研究の歴史は古く, 1949年には劣性遺伝することが明らかにされ, 1950年の中頃にはヘモグロビンを構成するグロビンタンパク質にアミノ酸置換が検出されていた. 1970年後半にはグロビン遺伝子が単離,すなわちクローニング(cloning)され, 1980年はじめには,サラセミア患者からもグロビン遺伝子がクローニングされ塩基配列が決定されて変異点の解明がなされた.世界中の多くの患者のグロビン遺伝子を調べた結果,患者によって点変異のみでなく,欠失,転移,逆位などさまざまなタイプの遺伝子変異が起きていることが明らかにされた.

 

 つづいて小児に発症し,代謝にかかおる酵素活性の異常がくわしく知られている病患について,異常な酵素をコードする遺伝子が患者と健常人からそれぞれクローニングされ,問題酵素遺伝子の塩基配列上の違いが追究された.フェニルケトン尿症フェニルアラニン水酸化酵素の異常により体内に大量のフェニルアラニンが蓄積して知能障害や痙攣などを引き起こす重篤な小児病患である.遺伝子のクローニングによる解析からほとんどの患者加点変異に由来していた.フェニルアラニンを欠いた食事を生まれてからすぐに与え続ければ発症が未然に防げるため,遺伝子診断が有意義な病気の1つである.

 

 これまでに数多くの遺伝性病患について異常タンパク質(酵素)がクローニングされ患者の病因解明と遺伝子診断が行われてきている.

ブタが提供する移植臓器

 

 ヒトにおける臓器移植の技術は免疫抑制剤などの開発の進展により近年著しく進歩しており,多くの患者が命を救われている.そのおかげで世界中で臓器移植を希望する患者が激増しているのに比べ,臓器提供者の数は増えず,慢性的に移植臓器が不足する状態が続いている.この間題を克服するために動物の臓器を移植する技術が大きく進展しつつある.

 

 動物愛護の間題,臓器がヒトよりずっと小さいこと,ヒトと共通のウイルスに感染しているおそれかおることなどの理由から霊長類の臓器を利用する試みはされていない.その点,ヒトと同様に雑食性であるブタは,臓器の大きさや血液の性状がヒトに近いこと,1回に10~20頭を産むという多産性であること,無菌飼育が現実的に可能であること,食用家畜としての利用の歴史が長いため屠殺を伴う臓器利用に動物愛護の間題がより少ないことなどの理由から,移植臓器の提供動物としてブタを利用する計画が進んでいる.とはいえ,ヒトとは種族が遠く離れているブクの臓器をヒトに移植すると,数分後には移植された臓器の血管がつまってしまうという超急性拒絶反応が起こり,役だたない.拒絶反応の主たる原因は,補体と呼ばれるタンパク質が重要なはたらきをする細胞性免疫系が移植された臓器という異物を認識して攻撃をしかけることである.補体は異物に標識を付加し,それを目印にしてリンパ球がつくりだす抗体と共同して異物細胞の細胞膜を破壊することで殺してしまう.補体の作用を制御する免疫系は多数の補体制御因子が絡んだ複雑なものであるが,因子のうちのあるものは異物ではない自己の細胞を異物と区別して免疫系の攻撃を免れるという防御機能を持つものもある.そこで,ヒト由来のこの補体抑制因子の遺伝子を導入したトランスジェニックブタを作製してドナーとして利用すれば,臓器の中にはすでにヒトの補体抑制因子が発現されているため,超急性拒絶反応を免れるであろうというアイデアである.

 

 実際にはいくつかのブタの遺伝子をノックアウトしたつえで少なくとも3種類のヒト補体抑制因子遺伝子を導入しなければ超急性拒絶反応を十分におさえられないこと,トランスジェニックブタの作製はマウスほどには容易でないなどの技術的に来熟な点が残っている.そのために作製には高価な費用がかかること,食用でない家畜の使用に関して動物愛護団体の強い反対かおるなどの理由から,計画は当初期待したほどには進んでいない.しかし移植を受けられないまま病状が悪化してゆくしかない多数の患者にとっては一条の希望の光であろう.

アブザイム

 

 動物は微生物の感染に抵抗する手段として免疫(immunity)能力を発達させている.哺乳類では血液中の白血球の一種であるBリンパ球において生産される免疫グロブリン(immunoglobulin)と呼ばれるタンパク質が抗体(antibody)として,外来異物としての抗原(antigen)に高い特異性を持って結合し,それを目印としていくつかの免疫応答機構がはたらいて異物を排除する.免疫グロブリンはL鎖(214アミノ酸)とH鎖(440アミノ酸)と呼ばれるポリペプチド鎖が2本ずつ集合して3個のジスルフィド(S-S)結合で結ばれた構造をしている。 L鎖にはλとxの2種類が,H鎖にはIgG, IgA, IgM, IgD, IgEの5種類が知られている.おのおののポリペプチド鎖はアミノ酸配列が可変な(V)領域と,不変(C)な領域から成り立っており,抗原とは可変領域において結合する.不変領域の遺伝子は1つ程度の少数であるが可変領域の遺伝子は数百個あり,それらが選択的なスプライシングなどによって組み合わさることで多様な抗原に対応して高い特異性を持って結合できる多種類の抗体分子が産生される.

 

 抗原と抗体の結合特異性は,酵素が反応を触媒する基質(substrate)に対して示す緊密な分子間相互作用にきわめて類似している.ポーリング(L. Pauling)は酵素反応は酵素分子が反応の遷移状態中間体に強く結合することにより本来は高い活性化エネルギーが必要とされる遷移状態が安定化され,反応が円滑に進むというモデルを提唱した. 1986年,レルナー(R. Lerner)らは,もしそうであれば遷移状態中間体に結合する抗体を作製すれば酵素作用を持つ触媒抗体という新たなタイプの生理活性物質が生み出せるのではないかという独創的なアイデアを発想し実行に移しか.そしてあるエステル化合物を抗原として作製したモノクローナル抗体の中にエステルの加水分解を触媒する抗体分子を見いだした.この触媒抗体は,抗体(antibody)と酵素(enzyme)の合成語としてアブザイム(abzyme)と呼ばれる.彼らが続いて作製したポリペプチド鎖を構成するアミド結合の加水分解を促進するアブザイムは,特定のアミノ酸部位でタンパク質を自在に切断できる新しいタイプの分子ハサミを設計する手段を提供したとして,その進展が注目されている.

 

ペプチド核酸

 

 ペプチド核酸(PNA : peptide nucleic acid)はタンパク質を構成するアミノ酸の連なった分子でありながら,核酸と類似の性質を持たせた新しいバイオ分子である. PNAの基本骨格は,特殊なアミノ酸である2-アミノエチルグリシンが,ペプチド結合により連なることで構成されている.このPNAにおけるペプチド結合の立体構造や化学的性質は, DNAにおける糖・リン酸部分の骨格構造と驚くほど類似している.それゆえ, DNAにおいて塩基の占める位置に相当するPNAの場所に4種類の塩基を適当に配置すれば, DNAにそっくりのPNA分子鎖ができあがる.このPNAの持つ塩基は, DNAやRNAの持つ塩基と塩基間の水素結合を形成してDNA・PNA混成物(ハイブリッド)をつくることができるため, PNAをDNAと同じ感覚で用いることが可能である.それどころかPNAは以下に列挙するようなDNAにはないいくつかの有利な点を持ち合わせている.0酸性のDNAに対してPNAは中性であること. c PNAはDNΛより水溶液によく溶解するためDNAでは困難であった高濃度で使用できること,@核酸分解酵素の基質にならないため分解されないこと,0より高温でも安定なDNA・PNA混成物(ハイブリッド)を形成できることである.これらの性質から,アンチセンスPNAとして用いれば医薬品に有用であろうと期待されている.

 

 アプタマー

 

 アプタマー(aptamer)とは,ラテン語で適合(fit)するという意味を持つ語(aptus)と,オリゴマーの接尾語(mer)を合成してつくられた用語である.特定の生体物質(とくにタンパク質)に特異的に結合して作用する小さなRNA分子を意味し, PCR法を利用して人工合成され選択される.その機能を理解するためにアプクマーの作製法を簡単に説明しよう.主要なトリックの1つは人工合成されたDNAをRNAに変換するためにT7RNAポリメラーゼという酵素を用いることにある.そのためにまずDNA合成機を用いて, T7RNAポリメラーゼの反応を開始させる機能を持つ,34塩基からなるT7プライマー(primer)と呼ばれる塩基配列と,任意の18塩基に挟まれた25塩基のランダムな塩基配列を持つオリゴヌクレオチドを人工合成する.次にこれを鋳型にしてT7RNAポリメラーゼをはからかせ,ランダムなRNA分子集団を合成する.25塩基を挟めば巨大な数の組み合わせを持つオリゴヌクレオチドの集団が容易に合成できる.この分子集団を標的タンパク質を結合させた樹脂を詰めたガラス筒(カラムクロマト)を高塩濃度の条件下で通過させると,標的タンパク質に親和性のあるRNA分子種のみが樹脂に吸着される.次に吸着したRNA画分を低塩濃度の条件下で溶出させる.溶出したRNAを鋳型にし,18塩基部分をプライマーとして逆転写酵素をはたらかせてもう一度DNAに転換する.ここで1サイクルが終了する.あとはこのDNAをPCR法により再び増幅し,増幅されたDNAを用いてこのプロセスを何回も繰り返して特異的に結合するアプタマーを純化してゆく.

 

 これまでに色素やタンパク質などを標的にしたアプタマーがいくつか単離されている.医薬品としては血液凝固タンパク質であるトロンビンの阻害剤としてのアプタマーが開発されてきた. DNAをそのまま用いてこの過程を繰り返してもよさそうであるが,実際にはうまくゆかない.その理由はDNAは多様な立体構造をとれないためRNAほど高い確率でアプタマー分子が採取できないからである.

 アンチセンスRNAとコードブロッカー

 

 アンチセンス(antisense) RNAとは, mRNAと相補的(逆向き)な塩基配列を持たせ,細胞内に極微のガラス針を通して注入し,本来のmRNAとハイブリッドを形成させてタンパク質への翻訳を阻止する役割を持たせ九分子のことである.実際にはKNAは細胞内に注入しても,リボヌクレアーゼによりすぐに分解されてしまうため実用的でない.そこでホズボンエステル結合をチオリン酸ジェステル結合に改変したり, 2'-0H基を修飾したりして分解から保護する工夫がなされている.さらにホスホジェステル結合を,電荷を持たないメチルホスホネート基で置換し,細胞膜を通過しやすくして,細胞内導入の効率を高める技術も開発されている.標的mRNAの特定の領域に,相補的な塩基配列を持つ人工的に化学合成した20塩基程度の小さなRNA分子は,アンチセンスオリゴマーとも呼ばれ,効率よく高い特異性を持って標的mRNA力1タンパク質に翻訳されるのを防へ これらアンチセンスRNAは,塩基配列はわかっているか機能が不明な遺伝子の生理機能を解析できるのみでなく, RNAウイルスの増殖阻害を目的とした医薬品としても注目を浴びている.

 

 一方,アンチセンスオリゴマーは標的DNAに対してもハイブリッドを形成できる.この場合,適当な条件下では標的となる塩基配列の領域で三重鎖構造をとり,遺伝子の転写を阻害することもできる.このような分子はコードブロッカー(code blocker)と呼ばれ,標的遺伝子の転写を阻害できる医薬品としての応用も試みられている.