貴重な医薬タンパク質の大量生産

 

 遺伝子操作技術が実用化されてからまず取り組まれたのが,これまで高価な医薬品であった稀少タンパク質を大腸菌に大量生産させることであった.従来は1人の小人症の患者の1年間の治療のために必要な成長ホルモンを調製するためには数十人分のヒトの死体の下垂体が必要であったし,糖尿病の治療に必要なインスリンの調製のためには何万頭ものウシの膵臓が必要とされていた.これと同じ量の稀少タンパク質がわずか1lの大腸菌培養液から採集できろとなればまさに夢のバイオ技術となるはずであった.しかし現実には同じアミノ酸配列からなるタンパク質は大量に産生できるようになったものの大腸菌で産生したタンパク質を臨床応用するにはいくつかの難関を乗りこえなければならないことがわかってきた.その第1点は多量発現された組換えタンパク質は大腸菌細胞内で凝集して不溶性の封入体と呼ばれる特殊な構造体を形成するため,せっかくつくったタンパク質が回収できないことである.第2点は大腸菌内では組換えタンパク質の開始コドン(AUG)に相当するN末端のメチオニンが高発現のせいでうまく除去できないことである.第3点はタンパク質が活性を持つために必要とされる糖鎖の付加やリン酸化が大腸菌の細胞内では起こらず,アミノ酸配列は同一ながら生理活性を持たない組換えタンパク質しか産生されないことである.これらの問題を解決するために酵母やカイコ細胞などでの発現が試みられたが,異質な糖鎖付加の間題は残った.哺乳動物細胞での発現は糖鎖やリン酸化の間題は解決されたが経済効率の面では間題が残り,天然型と同等なものを安価に得るのはたいていの場合は困難であった.ところが発生工学の進展のおかげで最近では革新的な方法が試みられている.それはウシやヒツジに組換え体を導入して乳汁の中に組換えタンパク質を産生させようというアイデアである.たとえばヒトのα-アンチトリプシン遺伝子を導入し,乳汁1/に数十gのヒトのα-アンチトリプシンを含むヒツジが報告されている.