なぜ、医師は自分の子どもも医者にしたがるのか

 

 戦後、医科大学の新設は一校もなく、むしろ医学専門学校の吸収・統廃合などにより、総数としては減少の傾向にあった。ところが、昭和四五(一九七〇)年から急激に建設ラッシュに入った。それというのも、この答申の持つ建前がそのまま受け入れられたからである。

 しかし、この建前とは別に、本音の部分には、よりシビアな側面があったのだ。当時の医学部関係者や医療ジャーナリストの声をまとめて分析してみると、その本音は、「医師の世襲性」の護持であった。開業医・勤務医を問わず、当時、日本の医師の八〇パーセントは、「息子を医師にしたい」、または「娘を医師に嫁がせたい」と思っていた。しかも、この異常なまでの数値の高さは、なにも日本だけに限ったことではなく、世界的な傾向であるといわれていた。

 なぜ、医師は自分の子どもを医師にしたがるのか。

  一般的に指摘されていた理由は、この職業に与えられている「社会的尊厳の高さ」と、それを実際に裏づけてくれる「経済的保障」、そして「理想主義的殉教者意識」であった。医師は“名誉ある自由人”といわれるが、この言葉に象徴される特権を、息子や娘に継承させようというわけだったのだ。もっと俗っぽくいえば、”食いっぱぐれはないし、人には敬われるし、ヒューマニストであるかのようにふるまえる”ということである。

 われわれの周囲においても、「医師」であるというだけでその全人格を全面的に信用し、生命までもいとも簡単に預けてしまう傾向が未だにあることは、容易に認められよう。

 「医科大学設置調査会」の答申の枠を超え、新設私立医科大学が全国各地に乱立していくプロセスは、まさに医師自身のこうした社会的エゴの具体化であったと指摘することができる。

『物語 大学医学部』保阪正康著より