開業医のこだわりと裏金

 

 このことを裏付けるべく、新設私立医科大学の設立ラッシュ直前の開業医の助きを訓べてみたところ、きわめて興味深い事実が判明した。昭和四三二九六八)年ごろから、全国の開業医たちのあいだでは、「新設私立医科大学を医師白身の手で作ろう」という呼びかけの趣意書が多数、ばらまかれていたのだ。紙面の前段には、「日本の医学の質を向上させるため……」という趣旨が強調されているのだが、後段になると巧まずして本音が顔を出していた。

 たとえば、ある私立医科大学の新設趣意書には、臆面もなく次のように書かれていた。

 「私たちの子弟が医師になれないことは、即破産につながります。皆様の築いた地盤、名声、地位が一挙に崩れるのです。皆様、官学がだめなら、私たちは団結して、われわれの跡取り養成機関としての新設医大を作ろうではありませんか」

 正直といえば正直である。地盤、名声、地位を守り切るために、できの悪い子どもでも入学できるような自前の医科大学を作ろうとあからさまに訴えていたのだから。

 こういうなんとも正直(?)な趣意書に応じて、一口一〇〇〇万円以上という寄付を支払う開業医が多かった。そして、そこに自分の息子を押しこむために、さらに三〇〇〇万円、四〇〇〇万円もの裏金を使い、入学試験の成績に関係なく、“医師予備軍”を作りあげることに必死になったのである。

  一般的に指摘されていた理由は、この職業に与えられている「社会的尊厳の高さ」と、それを実際に裏づけてくれる「経済的保障」、そして「理想主義的殉教者意識」であった。医師は“名誉ある自由人”といわれるが、この言葉に象徴される特権を、息子や娘に継承させようというわけだったのだ。もっと俗っぽくいえば、”食いっぱぐれはないし、人には敬われるし、ヒューマニストであるかのようにふるまえる”ということである。

 われわれの周囲においても、「医師」であるというだけでその全人格を全面的に信用し、生命までもいとも簡単に預けてしまう傾向が未だにあることは、容易に認められよう。

 「医科大学設置調査会」の答申の枠を超え、新設私立医科大学が全国各地に乱立していくプロセスは、まさに医師自身のこうした社会的エゴの具体化であったと指摘することができる。

『物語 大学医学部』保阪正康著より