ブロッホ良性非母斑性黒色上皮腫第II型、アクロコルドン

ブロッホ良性非母斑性黒色上皮腫第II型、アクロコルドン

 皮膚腫瘍の分類は種々あるが、これは、腫瘍・母斑・過誤腫などの概念が必ずしも一致しておらず、さらには腫瘍の本態・悪性度に関しても見解の相異が大であるためである.

上皮性腫瘍

 表皮は被覆表皮(surface epidermis、 Deckepidermis)と表皮付属器(epidermal appendages、 Hautanhange)とから成り、後者はさらに、毛包・脂腺・アポクリン汗器官・エクリン汗器官とから成る.

 上皮性腫瘍も、それぞれこれらの原基から発するもので、それを中心に分類した.

良性被覆表皮性腫瘍

 脂漏性角化症seborrheic keratosis

 [症状]中年以降、顔・頭・体幹に多発して来る丘疹で、半米粒大から豌豆大まで、正常皮膚色~淡褐色~褐色~黒褐色と種々の色調を呈し、表面は平滑または現状.自覚症状なし.しばしば老人性色素斑と混在.手掌足底には生じない、

〔病因〕表皮の一種の加齢的変化.

 〔組織所見〕同一疾患とは思えぬほど種々の組織像を呈する.基底細胞増殖型が多いがさらに有棘細胞増殖型、角質増殖型、あるいはこれらの混合から成り、これにまた種々の程度にメラニン沈着が関係する.

 網状型(retiform)・腺腫様型(adenoid)・充実型(solid)・鋸歯状型(serrated)・混合型(mixed)およびブロッホ型(Bloch)と分ける.

 〔鑑別診断〕①老人性角化腫、②ボーエン病[丘疹型]、③基底細胞腫、④有棘細胞癌、⑤悪性黒色腫、⑥ケラトアカントーマ、⑦毛孔腫、⑧汗管腫、⑨青年性扁平疣贅、⑩尋常性疣贅、⑩黒子など.

 [予後]良好.加齢とともに増加.

 [治療]必要に応じ切除.

   ブロッホ良性非母斑性黒色上皮腫第II型gutartige nicht-nevoide Melanoepitheliome ll〔Bloch 1927〕:黒い釦を皮表に置いたような、広基性腫瘍で、ときにわずかに基部でくびれ、表面にひびわれした餅のような裂け目・胡麻粒様黒点を有する.基底細胞型細胞の網状増殖で、メラニン沈着が強い.独立疾患としても良いが、老人性疣贅の1型とされる. melanoacanthoma〔Mishima-Pinkus〕とほぼ同義.なおI型は基底細胞様細胞〔異型性あり〕、有棘細胞塊、メラノサイトの3者から成るが、近年の概念でいえば毛孔腫に近いものと考えられる.

 アクロコルドンacrochordon:頚・腋窩に多発する半米粒大までの小丘疹で、一部は有茎性ないし糸状.大部分は小さい老人性疣贅である. cutaneous tag.

レーザー・トレラ症候群、稗粒腫

 

 レーザー・トレラ症候群Leser-Trelat syndrome : 数ヵ月のうちに老人性疣贅・老人性色素斑が急速に多発、かつ皮膚 痒症を伴うもので、内臓悪性腫瘍の合併率が高い.しかし黒色表皮腫との合併も少なくなく、その疣贅のきわめて多い一亜型という考えもある.

 dermatosis papulosa nigra 〔Castellani 1925〕:黒人の顔面〔頬・耳前部〕にみられる〔成人の30%〕粟粒大の黒色小丘疹.組織像はメラニン沈着の著明な老人性疣贅の網状型に一致する.まれに日本人例.

 stucco keratosis : 踵・アキレス腱部ときに足背・前腕に生ずる3~10mm径の灰白色角化性丘疹で、鱗屑はこすると脱落し辺縁に襟飾状鱗屑を残す.

2.稗粒腫milium

 〔症状〕帽針頭大~粟粒大の白~黄白色の硬い小丘疹で、眼瞼部ついで頬・前額・陰茎・陰嚢・陰唇に多発〔原発性〕〔付図26-3].この他に類天疱瘡・先天性表皮水疱症・晩発歐皮膚ポルフィリン症・硬化性萎縮性苔癬・熱傷瘢痕・皮膚結核瘢痕・植皮部・皮膚削り術部・X線皮膚などに続発、のち自然退縮するものもある〔続発削.

 〔病因〕①原発吐:軟毛の漏斗部の母斑性過誤腫、②続発吐:破壊された汗管・毛包・脂腺導管・表皮の嚢腫状増殖.

 〔治療〕小尖刃刀で小孔をあけ、内容を圧出.

3.粉瘤atheroma〔表皮嚢腫epidermal cyst〕

 〔症状〕豌豆~鶏卵大の、半球状に隆起し、皮膚と癒着し、下床とは可動性の、弾性硬の皮内腫瘤〕.大きいときは波動を呈する.小切開を加えて圧迫すると悪臭ある粥状内容(Atherombrei)が排出される.ときに二次感染を来し、発赤して圧痛がある〔炎症性粉瘤(entztindliches Atherom)〕〔〕.被覆表皮または毛包漏斗部の嚢腫.

 〔組織所見〕上皮性嚢腫、しばしば周囲に異物反応.

 〔治療〕摘出.

4.外傷性上皮嚢腫traumatic epithelial cyst

  外傷により表皮の一部が真皮内に入り込み、嚢腫を形成したもので、臨床的には粉瘤に似る.石工・鍛冶屋などの手掌足底あるいは膝蓋に多い.

5.澄明細胞性棘細胞腫clear cell acanthoma 〔Degos 1962〕

円形、扁平にわずかに隆起した、淡紅色ないし黒褐色の小結節で、直径2cm以下、多くは下腿に単発、ときに多発する.魚鱗癬・静脈瘤その他乾癬・細菌感染巣・外傷部・虫剌部に生ずることもある.円形で透明な増殖した有棘細胞はグリコーゲンを多量に含み表皮・真皮内に好中球浸潤一海綿状態をみることも多い.真皮に毛細血管拡張あり.表皮細胞由来と思われるが、表皮内汗管由来・老人性疣贅亜型・炎症後偽腫瘍・過誤腫説などがある. pale cell acanthoma、 acanthome a cellules claires.

6. Bpidermolytic acanthoma

   扁平隆起性ないし疣贅状丘疹で常色~褐色を示し、ほぼ米粒大、中年以降の陰部を主とし体幹に好発.単発〔isolated e.a.Shapiro-Baraf 1970〕または多発〔disseminated e.a.Hirone-Fukushiro 1973〕.表皮表面の陥凹(cup shaped invagination)した表皮肥厚で顆粒変性を示す.

毛包腫、多発性丘疹状毛包上皮腫

 

 毛包・脂腺・汗器官より生ずるもので、既述の母斑〕から後述の癌までの腫瘍をLever (1975)が分類している.この分類

にはまだ多少の改良の余地があるが〔例えば毛孔腫やケラトアカットーマが除外され
ている〕、きわめてクリアカットなので理解しやすい.
                〔A〕毛包起原性

 1.毛包腫trichofolliculoma (Pinkus-Sutton 1965〕

 顔面[一頭・頚]に単発する半球状、正常皮膚色の小結節で、しばしば中央が凹んで未熟な白い毛が生えている.組織学的に未熟な毛包構造が塊状・房状に集塊を成し、中央嚢腫構造あり、未熟な毛を容れることもある.まれ.

   毛孔拡大腫dilated pore 〔Winer 1954〕:成人男子顔面・胸部に単発し、巨大黒色面皰を形成.毛漏斗部が広く開口し、深部で嚢腫状に広がり、壁より外方に多くの表皮突起様増殖を示す.漏斗部良性腫瘍.

 毛鞘棘細胞腫pilar sheath acanthoma 〔Mehreg an- B rownstein 1954〕:中年以降の顔面とくに上口唇に好発する径0.5~亅cmの中央陥凹した小結節.陥凹部には角化と表皮肥厚あり、深部の嚢腫壁より放射状に突起を出す.漏斗部腫瘍であるが、一部毛包全構造への分化を示す.

   sebaceous trichofoll iculoma[Plewig 1980]:脂腺増生を伴った毛包腫の一亜型.

  中央嚢状毛包より放射状に成熟脂腺.

2.多発性丘疹状毛包上皮腫trichoepithelioma papillosum multipleχ 〔Jarisch〕

 〔同義語〕嚢腫状腺様上皮腫epithelioma adenoides cysticum [Brooke 1892〕

 〔症状〕粟粒~豌豆大、半球状の、ときに透過性に見える硬い丘疹で、顔面正中部

〔鼻根・眼瞼内側・鼻唇溝・口囲〕に対称性に多発、その他、被髪頭部・項頚部・体幹にも生ずる.まれに潰瘍化.思春期に初発し徐々に増数、女子にやや多い.常染色体性優性遺伝で家族内発生あり.まれに皮膚萎縮・てんかん・舌海綿状血管腫・円柱腫・表皮母斑などを合併.

 〔組織所見〕角質嚢腫を有する、基底細胞腫様細胞から成る腫瘍塊が集族し、この腫瘍塊が主体を成して基底細胞腫そのものにみえるものから、分化が進んで角質嚢腫が多く、不完全ながら毛乳頭の形成のみられるものまである.ときに周囲に異物反応や石灰沈着.

   単発性毛包上皮腫:成人以降に発し顔に多く、頭・体幹・四肢にも生ずる.遺伝(-).角質嚢腫・不完全毛乳頭が多い.角化性基底細胞腫に近い.

 抗ケラチン・モロクロナル抗体による付属器腫瘍の診断〔伊藤1986〕:抗毛ケラチンMoAb〔HKN-2、 HKN-4、 HKN-5、 HKN-6、 HKN-7]、抗単層上皮型ケラチンMoAb〔RGE53〕および抗重層上皮型ケラチンMOAb〔RKSE60〕による免疫組織化学法 により、腫瘍の起原が確定されるようになってきた.

 desmoplastic trichoepithelioma [Brownstein-Shapiro 1977〕:中央がわずかに陥凹し、辺縁が堤防状に隆起し、稗粒腫様白色小丘疹が環状に配列する.真皮に大小の多数の角質嚢腫・基底細胞様細胞の索状配列・結合組織の増生をみる.

石灰化上皮腫、毛孔腫

 

  calcifie Malherbe 〔1880〕

 〔同義語〕毛根腫pilomatricoma〔Pinkus-Mehregan 1969〕、毛母腫pilomatrixoma〔Forbis Helwig 1961〕.

 〔症状〕皮内に硬く触れる指頭大までの腫瘍で、比較的若年者に多く、やや女子に偏好、20歳以下に多い.上肢・顔面・頚部に好発、単発性.被覆表皮は正常、ときに腫瘍上部に水疱を形成.遺伝なし〔まれに遺伝性でmyotonic dystrophy と合併〕.

 〔病因〕毛根起原性.

 〔組織所見〕濃染する好塩基性細胞(basophilic cell)と、淡紅色、核が消失して明るく抜けてみえる陰影細胞(shadow cell)とから成り、両者間に移行像があり〔移行細胞(transitional cell)〕、しばしば石灰沈着を伴う.前者は毛母細胞由来、後者は毛皮質と考えられる〔毛母腫〕.旧いほど前者が減り後者が増える.周囲に結合組織の増殖があり、異物反応を伴うことも多い.石灰沈着は真皮中にもみられる.陰影細胞や結合組織中に化骨(ossification)をみることもある.
 
毛孔腫poroma folliculare 〔Dupenat-Mascaro1963〕

 〔同義語〕反転性毛包角化症inverted follicular keratosis 〔Helwig 1954〕

 〔症状〕疣贅状・乳頭腫状の小腫瘍で、単発が多く、剛毛部すなわち顔面・頭部に好発.男子高年者に多い.

 〔組織所見〕乳頭腫で中心に角栓が著明.基底細胞様細胞(basaloid cell)と有棘細胞様細胞(squamoid cell)が増殖、主として前者の中に大小の玉葱輪切り状の好酸性の有棘細胞巣(squamous eddies)が散在.日本人ではblockade melanocyte の共存が多い.

〔病因〕毛包漏斗部の良性腫瘍.

[予後]良好.まれに有税細胞癌化.

〔治療〕切除.

  basosquamous cell acanthoma[Lund]は、 basaloid、 squamoid細胞の増殖から成り、これにblockade melanocyte が加わる.前記squamous eddies のみられることもあり、毛孔腫と同一または近縁と思われる.

ケラトアカントーマkeratoacanthoma

 

 〔同義語〕molluscum pseudocarcinomatosum

 〔症状〕

 1)中央腋窩を有する角化性丘疹で、比較的急速に増大、形は噴火口に似(crateriform)、角栓を容れ、周囲には糺暈をめぐらす.

 2)大部分が顔面に生じ〔90%以上〕、頚・前腕・手背がこれに次ぎ、単発、まれに多発.中年以降の男子に多い.

 3)一定の大きさ〔2cm径ぐらい〕に達すると進行を停止し、数力月つづいてしばしば自然退縮を示す.

 4)単発型はときに巨大化〔径2~3cm〕し、これは自然退縮傾向に乏しい.

 5)多発型は若年者に生じ家族内発生もあり、自然退縮傾向が大.

 〔病因〕毛包性良性腫瘍で、その発育退縮を毛周期と一致、特異的自己免疫発生、HPV免疫発生と関係づけて考えるひともある.その他、日光・タール・油・外傷・素因〔先天性因子、アトピー性皮膚炎・色素性乾皮症などの先行〕の関与も考えられる.

 [組織所見]中央に角化増殖を有し、これを包むように表皮増殖がありpseudocarcinomatousな、すなわちlow-giadeの癌性変化がみられる.基底膜は正常に保たれ侵襲像はない.腫瘍下の細胞浸潤はリンパ球のほかかなり好酸球がみられる.

 〔診断〕上記のような組織所見なので、生検のさい腫瘍の全割面が入るように採らないと有棘細胞癌と区別が難しい.

 〔予後〕転移せず、自然退縮もあって予後良好.

 [治療]①放置して自然退縮を待つのも一法であるが、有棘細胞癌と鑑別するため、生検[かさければ全摘]する.②放射線療法:軟X線を少量照射.③ステロイド剤外用ないし局注.④ブレオマイシンの局注または軟膏として塗布.⑤エトレチネート内服.

   multiple primary self-healing squamous cell carcinoma 〔Smith〕〔若年者・多発・大きい・体幹や粘膜にも発生・長期反復・家族性発生〕とtumor-like keratoses〔Poth〕〔多発・日光や火熱照射に続発・手背前腕に多い.家族性発生なし〕は細かい点では異なるがケラトアカントーマの1異型としてよい.

外毛根鞆腫

 

外毛根鞆腫trichilemmoma〔Headington―F rench 1962〕

   顔頭部の小結節で、ときに皮角状〔trichilemmal horn : verrucous trichilemmal tumor に同じか〕.表皮または毛包に連絡する房状または層状の増殖で、外層は柵形成を示し、中央はグリコーゲンに富んで明るい細胞より成る.これが真の外毛根鞘角化かpheftotypeにすぎないか議論のある所である.この典型のほかにintermediate type 〔漏斗を構成する外毛根鞘細胞からなるもので毛孔腫・毛漏斗腫・ケラトアカントーマを含む〕が考えられている.多発型はCowden病の一症状で顔・口部に生じ、乳癌合併率が高い.

外毛根鞘嚢腫trichilemmal cyst 〔pilar cyst〕

  主として頭部にみられる皮下嚢腫で、粉瘤と臨床的に区別しがたいが、70%が多発して優性遺伝性.組織学的に壁細胞は細胞問橋に乏しく、基底部では柵形成がみられ、腔側の細胞は大きくふくらんで明るく、顆粒層を欠く.1/4に石灰沈着あり.かつて仮性粉瘤とも呼ばれた.

proliferating trichilemmal tumor

  高年者の頭部〔90%〕に生ずる1~10 cmの腫瘍でときにびらん・潰瘍化.①表皮と連続なし〔外毛根靹嚢腫の増殖?〕、②皮表と連続、③上層に外毛根鞘腫、下方に増殖巣のあるもの〔外毛根鞘腫の増殖?〕の3つの像あり.前癌性性格あり.

 外毛根鞘癌:2型あり.①malignant trichilemmoma : bowenoid 異常角化あり.表層には外毛根鞘性角化.角化性丘疹~肉芽腫様.②malignant trichilemmal tumor : 中央に外毛根鞘性角化、これを囲んで異型細胞増殖.両型併発あり.色素性乾皮症とケラトアカントーマ:古くから色素性乾皮症に生じた有棘細胞癌は予後が良いとされていたが、その大部分はケラトアカントーマであったと考えられる.一方本症の年少者例はほとんどが色素性乾皮症患者に発したものである.

 

多発性毛包嚢腫症

多発性毛包嚢腫症multiple follicular cysts

 〔同義語〕多発吐脂腺嚢腫症(sebocystomatosis、 steatocystoma multipleχ)

 〔症状〕青年男子に好発し、豌豆大までの半球状に隆起した硬い腫瘍で、集族性に多発、前胸正中部・頚項部に好発する.

 〔組織所見〕数層の扁平な上皮細胞から成る褶曲した壁の嚢腫でその内面の角層細胞は鋸歯状に突出する.嚢腫壁の外側に扁平化した脂腺小葉がみられる.一方腔内に角質物質を有し、壁が顆粒層を伴う角化を示すものもある.

 〔本態〕毛包漏斗部の母斑・腫瘍・貯留嚢腫説など.常染色体性優性遺伝、単発は非遺伝性.

 [治療]摘出.

 eruptive vellus hair cysts [Esterly 1977〕

 前胸・四肢に正常~淡褐色小丘疹C直径1~4 mm〕が散在ないし集簇.軟毛性毛包性嚢腫で多数の軟毛・角質を容れ、脂腺構造を欠く.わが国で10余例の報告.

  毛包漏斗腫tumor of follicular infundulum 〔Mehregan―Bu‰r 1961〕:中高年の顔面に生ずる半球状、直径2~15 mmの角化性丘疹で、通常単発、老人性疣贅に似る.グリコーゲン弱陽性の空胞状細胞〔intermediate cell と考えられる〕が増殖、これを基底細胞様細胞が柵状に取り囲む.漏斗部良性腫瘍であるが外毛根鞘腫と区別し難いこともあり、これに含める人もある.

 mycrocystic adnexal carcinoma 〔Goldstein 1982〕:鼻唇溝・眼囲に生ずる隆起性局面でほば正常色ないし淡紅・黄色で中年以降に多い.島状・索状の腫瘍塊が深く筋層・神経周囲・血管外膜・骨・軟骨にまで浸潤性にあり、角質嚢腫・未分化毛包構造・管腔構造等が混在、間質は結合組織の増生・ムチン沈着をみる.汗器官・毛包両方向への分化を示す比較的良性の付属器腫瘍で、転移はない.局所再発はあるので深部まで充分切除する.

脂腺腺腫、老人性脂腺増生症、フォアダイス状態

 

1.脂腺腺腫adenoma sebaceum

  顔面・頭部に単発する扁平隆起性ないし有茎性の小腫瘍で、多房状に増殖した脂腺塊より成り、分化の程度は種々.プリングル病を脂腺腫と称したのは、誤りである〔oas-p. 367〕.

  Muir-Torre症候群:脂腺腺腫[その他の脂腺腫瘍]・ケラトアカットーマ等に内臟悪性腫瘍〔消化器・泌尿器・婦人性器癌および結腸ポリープな匂か合併.

2.脂腺上皮腫sebaceous epithelioma

  顔面・頭部に単発し、黄色調を示し、一見基底細胞腫に似る.ときに潰瘍化.組織学的に

 基底細胞腫性増殖巣があり、その巣中に脂腺分化が著明にみられるもので、脂腺腫と基底細胞腫の中間に位する所見を示す.脂腺母斑に続発することあり

 3.老人性脂腺増生症senile sebaceous hyperplasia

 中年以降、主として前額・頬に生ずる米粒大~小豆大のやや黄色調を示す扁平丘疹、ときに中央より皮脂排出.単発または多発.多数の肥大脂腺分葉が集合し〔ブドウ房状〕、排泄管は拡大し、角質が充満する.男子に多い.血液透析患者に生ずることあり.

4.フォアダイス状態Fordyce's condition、 Fordycescher Zustand

   口唇・頬粘膜・包皮大小陰唇に半米粒大までの黄色小丘疹で多発集簇.独立脂腺の増殖.〔C〕エクリン汗器官起原性

エクリン汗器官起原性腫瘍

 

 エクリン汗器官の各部から種々の分化を示す腫瘍で、 CEA陽性のことが多い.

 1.エクリン汗嚢腫eccrine hidrocystoma

 温熱環境中で生ずる粟粒大の透明な嚢腫状丘疹ないし小水疱で多汗症の中年女性の顔面〔とくに眼囲〕に多い.エクリン汗管の貯留嚢腫.

02.エクリン汗孔腫eccrine poroma

 足底を主とし〔2/3〕、手掌、まれに四肢・体幹にも発する単発l生の広基性ないし有茎性の小結節.表皮内汗管部(acrosyringium)の腫瘍性増殖で、周囲正常表皮とは明瞭に境された小円形単一な細胞増殖巣があり、中に汗管を想わす管腔ないし裂隙を有する〔Pinkus型1956].腫瘍細胞は多量のグリコーゲンを含み、コハク酸脱水酵素・フォスフォリラーゼ陽性.表皮内増殖〔Jadassohn現象〕を来したものをhidracanthoma simplex 〔Smith-Coburn 1956〕といい、表面やや角化性で下肢に好発する.真皮方向に増殖し、多少の異型性の認められるものをeccrine poroepithelioma、異型性が高く浸潤性増殖を示すものをeccnne porocarcinoma という.

 3.エクリン汗管腫瘍eccrine dermal duct tumor 〔W inkelmann-McLeod 1966〕

 真皮内導管部に発した腫瘍で、小腫瘤または皮内の硬い小結節. eccrine ducto-adenoma とほば同義.真皮内に表皮と連続しない腫癌塊があり腫蕩細胞は単一で管腔を形成する.

4.エクリンらせん腺腫eccrine spiradenoma [Kersting-Helwig 1956]

 直径1~2cm の境界明瞭な、硬い皮内・皮下結節.表面は正常または青色、自発痛・疼痛がある.単発が多い.顔・頚・体幹・上肢に多く下肢に少ない.腫瘤部にアセチルコリン注射で疼痛を生じ、これはアトロピンで消失し、一方アドレナリンでは生じない.腫瘍は索状・塊状に増殖、管腔構造を有し、大形・円形・クロマチンに乏しい核を有する細胞が中心部を、小形・クロマチン豊富な核を有する細胞が外側を形成、結合組織の被膜に囲まれ、腫瘍閧質に多くの無髄多軸索線維がみられる.まれに悪性化(malignant eccrine spiradenoma、 eccrine spirocarcinoma).

5.汗管腫syringoma

 〔症状〕直径1~2mm大、扁平隆起性黄褐色小丘疹で、下眼瞼あるいは体幹〔前胸・腋窩・腹部・外陰]に多発.思春期に著明となり、女子に多い〔付図26-8〕.体幹多発型をeruptive hidradenoma 〔Hashimoto 1967〕ともいう.

 〔病因〕優性遺伝.エクリン真皮内汗管の増殖.

 [組織所見]真皮上中層に、大小の管腔構造を有する上皮索、嚢胞状管腔の一端に短い尾のような細胞索が付き、このオタマジャクシ様(tadpole-like)外観が特徴的.管腔は2層の壁細胞より成る.周囲に結合組織の増殖.グリコーゲン蓄積で壁が澄明細胞巣となることがある[clear cell syringoma].

乳頭状汗管嚢胞腺腫、澄明細胞汗腺腫

 

6.乳頭状汗管嚢胞腺腫syringocystadenoma papilliferum

 従来はアポクリン汗器官性と考えられていたが、 Pinkus-Mehregan〔1969〕は、脂腺母斑に合併せずかつアポクリン汗腺構造を欠くもののあることから、エクリン乳頭状汗管嚢胞腺腫の存在をも指摘した〔c≪-p. 396〕.

7.澄明細胞汗腺腫clear cell hidradenoma 〔Kersting-Helwig 1963〕

   〔同義語〕nodular hidradenoma 〔Lund 1957]、 eccrine sweat gland adenoma of the clear cell type 〔O'Hara 1966〕、 solid-cystic hidradenoma 〔Winkelmann-Wolff 1967〕、 eccrine acrospiroma〔Johnson-Helwig 1969〕、 eccnne acrospiroma、 eccrine duct epithelioma of clear cell type 〔Mishima_Morioka〕.   〔症状〕0.5~3cmの単発性結節で半球状に隆起または皮内結節として触れる.体幹に多いがいずれにも生ずる.まれに多発.

 〔組織所見〕澄明な原形質の細胞が不規則塊状~房状に集簇、その中に管状管腔や嚢腫が多数みられ、腫瘍細胞は上記澄明細胞〔グリコーゲンに富む〕と、より好塩基性の紡錘形細胞〔張原線維を有する〕とから成り、管腔は円柱状~角形の細胞が壁を成す部分が多い.

 〔病因〕エクリン汗器官〔分泌部より表皮内導管に至る〕の種々の要素を有する腫瘍

 悪性澄明細胞汗腺腫(malignant clear cell hidradenoma)は本症の悪性化ではなく、はじめより悪性腫蕩として発する.悪性像を示すのは澄明細胞要素.

8.いわゆる皮膚混合腫瘍mixed tumor

 〔症状〕青成年の主として鼻・頬・上口唇・頭部に発する、比較的硬い腫瘤で、皮膚と癒着し下床に対しては可動性あり.軟骨様汗管腫chondroid syringoma〔Hirsch-IIelwig 1961〕ともいう.

 〔組織所見〕2型あり.

 1)管状・嚢腫状構造を主体とするもの:大小の分枝状管状~嚢腫状構造.管腔側に四角形の、外側に扁平な細胞があって管腔を形成、さらに管腔形成なく上皮性細胞が充実性に増殖する部分もある.実質は粘液様で好塩基性〔アルシャン青・ムチカルミンアルデヒドフクシン陽性、トルイジン青異染性、酸性ムコ多糖類〕.散在する線維芽細胞の周囲が間質物質収縮で白く抜け、軟骨組織のようにみえる.

 2)小管状構造を主体とするもの:1層の扁平な細胞を壁とする小さな管腔が、粘液様基質巾に散在する.

 〔病因〕エクリン・アポクリン汗器官由来の両説があるがエクリン説が強い.分泌部より真皮内汗管移行部に分化する傾向を有する腫瘍か.

   構造は、エクリン澄明細胞汗腺腫と共通するので両者を一括するものもある

  〔Lund〕.また問質の粘液様変性は上皮細胞により生ずるのでmucinous hidradenomaと称する人もある.

アポクリン汗器官起原性腫瘍

 

1.アポクリン汗嚢腫apocrine hidrocystoma 〔Smith 1974〕

   [同義語]アポクリン嚢胞腺腫apocrine cystadenoma 〔Mehregan 1964〕

   〔症状〕顔面〔とくに眼囲〕・耳・頭皮部に好発、単発性、半球状隆起性、透明ないし青色調〔メラニン・リポフスチンによる色〕の小結節.陰茎腹側・亀頭に生じたものを陰茎縫線嚢腫(median raphe cyst of the penis・)という.

  〔組織所見〕真皮内に大きな嚢腫構造あり.断頭分泌を示す1層の円柱状と、その外側の筋上皮細胞より成る.貯留嚢腫ではなく腺腫と考えられる.

2.乳頭状汗腺腫hidradenoma papilliferum

  大陰唇・会陰〔まれに乳頭・上眼険〕に単発する径10 mm までの半球状の、常色ないし淡紅色の腫瘍で、嚢腫内に複雑に絨毛状の凹凸があり、管状~嚢腫状構造にみえる.1層の核の明るい、断頭分泌を示す円柱状細胞が壁を形成し、その外側に筋上皮細胞様細胞がみられる.アポクリン汗腺の嚢腫.

3.乳頭状汗管嚢胞腺腫syringocystadenoma papilliferum

 〔旧名〕乳頭状汗管腺腫母斑naevus syringoadenomatosus papilliferus

 〔症状〕頭顔部に、出生時から思春期頃に発する単発性疣贅状腫瘍.思春期に増大することあり、また1/3が脂腺母斑に続発してくる.

 〔組織所見〕表皮より嚢胞構造が下方へ宵入、一部壁は角化細胞で被われる.真皮では大小の嚢胞かあり、絨毛状に壁が内腔に突出して乳頭状を示す.壁は2層の細胞より成り、管腔側は断頭分泌を示し、外側は小さい四角い筋上皮細胞様細胞より成る.エクリン汗器官由来説もあり、最近ではいわゆるアポエクリン汗腺由来も考えられている.

 〔予後〕約10%に基底細胞腫を続発.

4.円柱腫cylindroma

 〔同義語〕シュピーグラー腫瘍Spiegler's tumor、ターバン腫瘍turban tumor

 〔症状〕頭部、まれに体幹・四肢に、思春期頃から豌豆大から手拳大の、半球状ないし軽度有茎性の、正常皮膚色~淡糺~褐色の、大小の腫瘤が多発.頭部全体を侵すと、ブドウの房やターバン状にみえる.単発もある.まれに悪性化.

 [遺伝]多発型は常染色体性優性遺伝で、しばしば毛包上皮腫と併発.

 〔組織所見〕島嶼状に大小の腫瘍細胞塊.それを取巻くヒアリン鞘と結合組織.明るく大きい核を有する細胞が中央に、濃い小さい核を有する基底細胞腫細胞様細胞が周辺に並び、中心が管腔となる部分もある.

 〔病因〕アポクリン説が強いがエクリン説も主張されている.

科学論文とは何か

 


 科学論文すべてに、肯定的に評価できる部分と、否定的に批判できる部分があります。肯定的な評価が少しもできない、取り柄が全く存在しない論文はほとんどありませんし、逆に、どんなに優れた論文と思えても、目を皿のようにして読み込めば問題点、瑕疵を見いだすことはそんなに難しいことではありません。自分の学説に合わなければ、坊主憎けりや袈裟まで憎いで、内容は申し分ないのに、「こんな三流雑誌に載っている論文だからダメ」みたいに、ほとんど八つ当たりのように論文を否定することもできます(こういうタイプの批判はしばしばなされます)。逆に、自分の学説に合致している論文であれば、あばたもえくぼで、全面的に肯定的な評価をすることができるのです。

 よく医学の世界で「いい論文」とされるのはランダム化比較試験、かみ砕いてしばしば「くじ引き試験」と一般に紹介されるものです。三だ論法の「使った、治った、効いた」という論拠の未熟さを克服するため、「使わなかった」場合と比較してみて、本当にその治療法が有効であったのか(あるいは治療法でなくても、がん検診でも予防接種でも、何でもいいです)、吟味するのです。

 ともすると、「くじ引き試験が価値のすべて」のように言われがちです。前述の岡田正彦氏や近藤誡氏も、しばしば自分の意見を通寸ために「それにはくじ引き試験がない」といって批判します。しかし、本当にそうなのでしょうか。

感染症は実在しない(構造構成的感染症学)』岩田健太郎著より

くじ引き試験が役に立つのは微妙な問題だけ

 

 ここでまたスカイダイバーたちにご登場願うとしましょう。スカイダイビングのときのパラシュートの価値を検証したくじ引き試験は未だかつて存在しませんから、くじを引いて、半分の群はパラシュートあり、もう半分はパラシュートなしでスカイダイビングをしてもらいましょう。どうしてかというと、スカイダイビングをしても墜落死しないのは実はパラシュートのお陰ではなくて他の理由-例えばスカイダイバーに特殊な浮遊能力があるとかなんとかJがないとは言い切れないではないですか。パラシュートをしてもしなくても本当はダイバーの死亡率に差は出ないのかもしれません。というわけで、ダイバーたちが死なないのは本当にパラシュートのお陰なのかどうか検証するため、パラシュートなしのダイバーとくじ引き試験を行うので……。

 いい加減にしろですって? そうですね、冗談もたいがいにしておきましょう。もちろん、パラシュートがダイバーの命を守っています。それは自明のことです。こんなときにくじ引き試験なんて、バカげていますよね。

 嘘だと思う懐疑主義者の方は、ぜひパラシュートなしで飛び降りてみてください。

 では、医学の世界でもっとも正当性の高いと言われるくじ引き試験が、なぜスカイダイビングの例だと「バカバカしい方法」に堕してしまうのでしょうか。

 それは、くじ引き試験は、「微妙な問題」についてしか役に立たないからなのです。一見して効果がはっきりしないもの、効くのだが効かないのだかよくわからないもの、要するに治療効果でいうなら一目瞭然でないもの……そういったものについてだけ、役に立つ方法なのです。

 手を使って土を掘るよりも鍬で畑を耕すほうがいい。あたりまえです。一目瞭然です。こういうときに、わざわざくじ引き試験なんてやりません。遠くに行くのに自動車で行くのと歩くのとではどちらが速いか、比較するまでもありません。医療の世界だったら、肩を脱臼した患者さんを脱臼したまま放っておくか、整復するか。誰の目にも明らかです。このように、効果のはっきりしていて疑いようのないものについては、くじ引き試験は不要です。そんなことをあえてやるのは、滑稽ですらあるのです。

 感染症の世界だと、死ぬような重症の感染症では抗生物質を使います。くじ引き試験はしませんし、必要ありません。抗生物質は死にそうな感染症を劇的に治療してきた実績があります。いまさら抗生物質なしの人だちと比較するくじ引き試験など必要ないのです。

 しかし、医療の世界でやっている治療は、実はとても微妙な問題を扱っています。ちょっと目には効いているのだか効いていないのだかはっきりしないものが多いのです。高血圧の薬、糖尿病の薬、コレステロールを下げる薬、うつ病の薬、これらはすべて「効果があるかどうか一目瞭然でない、微妙な薬」なのです。


感染症は実在しない(構造構成的感染症学)』岩田健太郎著より

関心相関的に真のアウトカムは何か

 

 「そんなことはない。先生にもらった高血圧の薬、私はあれを飲んだらてきめんに血圧が下がった!」。そう反論される方もいらっしやるかもしれません。

 確かに、血圧の上げ下げはわかりやすい一目瞭然の指標です。だから、血圧の薬を飲むと血圧が下がるという点に関しては、それで問題ないでしょう。

 でも、ちょっと待ってください。子宮頸がんの検診の話のとき、私は「目的に照らし合わせれば検診の価値はあるかもしれない」と言いました。では、血圧を下げる薬の「目的」とはいったいなんでしょう。

 それは、血圧を下げること「そのもの」にはないはずです。なぜなら、血圧が高くても低くても大抵の人は全然症状がないからです。よっぽど高くなればふらふらしたり頭が痛くなったりするかもしれませんが、多くの方は血圧が高くても痛くもかゆくもありません。血圧は測定するから高いのであって、測定するまでは認識されない病気なのです。高血圧も人間が病気と認識し、定義し、名前を付けた現象です。血圧計が発明され、普及するまでは人間界に高血圧という病気は認識されていなかったのです。昔も高血圧の人はたくさんいたでしょうが。

 では、なぜ私たち医者は高血圧なんて病気を作り上げることにしたのでしょう。

 それは、血圧が高くなるという現象そのものを問題にしたためではありません。血圧の高いままでほったらかしておくと脳に出血(脳卒中)を起こしたり、心臓の血管が詰まってしまう心筋梗塞になったり、さらにそれが理由で死んでしまうこともあるからなのです。そして、血圧を下げるとそのリスクを減らすことができます。特に糖尿病などを合併していると(糖尿病も血糖を測るから病気と認識され、定義される「現象」です)、その恩恵はさらに増すと言われています。

 でも、高血圧の人もしょっちゅう脳卒中になったり心筋梗塞になったりしていてはやっていられません。大抵の高血圧の人は脳卒中にも心筋梗塞にもならずに生きています。でも、何万人というたくさんの高血圧の人を集めてみると、明らかに高血圧のない人に比べて脳卒中心筋梗塞の危険は高いですし、実際たくさんの人が死んでいます。そして、血圧を薬で下げることで、その危険を減らすことができるのです。

 そういった「一見してわからない(小さな)利益」を知るためにくじ引き試験は有効なのです。通常、何百人という人を集めてきて、2つのグループにくじ引きで分けて、薬を飲んでもらうグループと飲まないグループに分けて、死ぬか死なないかを比較するのです。薬を飲まないグループは、自分たちが薬を飲んでいないとわかっていると、余計に健康食品を食べたりジムで運動したり、タバコやお酒を控えて節制するかもしれません。それでは本当に薬が効果をもたらしたのかはわからないので、通常薬を飲まないグループも、錠剤をもらいます。でもその錠剤の中には薬効成分がないのです。これをプラセボと呼んでいます。偽薬ですね。プラセボとは、ラテン語で「喜ばせる」という意味なのだそうです。

感染症は実在しない(構造構成的感染症学)』岩田健太郎著より

 

大規模試験だから価値が低い

 

 ときどき製薬メーカーさんが私のところにやってきて、「これは4万人の患者さんで行った大規模くじ引き試験です」と鼻息荒く宣伝します。たくさんの人を集めてやった、お金もたくさんかけてやった大規模の研究結果で、その薬が「効く」ということがわかったのです。

 この裏には、大規模スタディーはいいスタディー、大規模スタディーは小規模なしょぼいスタディーよりも価値が高いという前提が潜んでいます。

 でも、冷静になってよく考えてみるとこれはおかしいのです。何万人も集めてやった大規模スタディーと言っても、それは逆に「何万人も集めなければ両者の差が見つからなかっか、微妙な研究」ということになるでしょう。本当にその薬が劇的に効くいい薬なら、5人くらいに飲ませても効果は一目瞭然でしょう。10人と10人で比較しても効果ははっきり見ることができるかもしれません。100人と100人で比較しないとその差がわからないというのは、もうかなり効果が微妙になってきています。それが数万人と数万人を比較して、やっと両者は違うんだ、とわかったのです。ということは、確かにその薬は効くかもしれませんが、その効き加減はほんのちょっと、ということにならないでしょうか。お金と時間をかけてやった巨大な研究でやっと効果がわかった薬は、5人ぽっちで効果のわかる薬よりも明らかに価値が低いと言えるでしょう(制作費が高い分、前者の薬のほうがお値段は高いかもしれませんが)。

感染症は実在しない(構造構成的感染症学)』岩田健太郎著より

統計分析も恣意的に決められる

 

 くじ引き試験で比較する2群に差があるかとうかを検定するには、統計学的手法を用います。統計学を用いるのだから科学的に正しいと思われがちなのですが、必ずしもそうではありません。統計学有意差も恣意性のもたらした「約束事」です。少なくとも恣意性を完全にフリーにすることはできません。

 例えば、統計学の世界では95%の信頼区間をもってそれを決定します。つまり、95%の確率で両者に差がある(普通は95%の確率で両者に差がないという仮説を棄却する、という言い方がされますが、わかりづらいのではしょります)と統計学的に差がある、と「認定」されます。しかし、この「95%でOK」という際の95という数字は、コンセンサスのもたらしたものにすぎません。「90%でもいいじゃん」という意見があってもいいと思いますし、「いやいや、97%くらいは必要」という意見があってもいいでしょう。しかし、それは「常識」「コンセンサス」から外れてしまうので却下されてしまいます。というわけで、統計学という学問がバックにあるからといって純粋に客観的、中立的な論文であることを担保しないのです。人間の恣意性を完全に排除した科学論文を執筆することは不可能だと私は思います。

感染症は実在しない(構造構成的感染症学)』岩田健太郎著より

学術論文は英語で

 

 臨床系の科学論文でもっとも権威のある学術誌はほとんどアメリカとイギリスが出版しています。現在、他の学術領域と同じように、英語こそが国際言語の王様なのです。

 昔はドイツ医学が世界をリードしていましたから、医者はみんなドイツ語を勉強し、ドイツ語の論文を読み、ドイツ語で論文やカルテを書いていたのでした。そもそも診療記録の意味で用いられる「カルテ」という言葉自体がドイツ語で、英語ではチャートと呼びます。

 例えば、内科系の学術誌でもっとも権威が高いのはNew England Journal of Medicineで、ボストンはハーバード大学の中に編集部があるアメリカの学術誌です。

 医学の世界は臨床医学基礎医学に分けることができます。試験管やネズミを相手に実験をするのが基礎医学、患者さんを相手にするのが臨床医学と大ざっぱに捉えていただければよいと思います。学術誌はいずれも臨床系の医学誌です。これが基礎医学になると、NatureやScienceといった学術誌が有名です。これもそれぞれイギリスとアメリカの学術誌です。

 世界の最先端の医学の研究発表はこのような学術誌に発表されます。

 え? ではドイツ医学についてはどうするの? フランスは? イタリアは? カナダ、オーストラリア、ブラジル、ロシア、中国はどうするの? そしてわが日本は?・

 もちろん、それぞれの国でも独自の学術誌を持っています。それらの多くはそれぞれの国の言語で作っています。例えば、日本内科学会の学術誌は「日本内科学会雑誌」と言って、日本語の論文が載せられます。学術誌の中には、抄録と呼ばれるサマリーだけは英語で併記されることもありますが、基本的には日本語がメインの雑誌です。

 けれども、フランス人もドイツ人も、そして日本人も、優れた学術研究を行ったときはそれぞれの言語で論文を書かないのが普通です。通常は英語で書きます。だから、フランスの研究成果もドイツの研究成果も、そして日本の研究成果も主たるものは英語の論文としてアメリカかイギリスの学術誌に投稿されるのです。したがって、これらの英語の学術誌を読んでいれば、世界の医学会の情勢は大体わかります。

 ときどき「英語で学問をやるのは英米思想に屈服している」と反発されることがあります。そういう要素が皆無というわけではないのかもしれませんが、どちらかというと英語は世界中の人が便利だから使っている言葉で、英米云々という閉じた文化の言葉ではなくなってきている傾向にあると思います。カナダやオーストラリアなどの英語圏の国はもちろん、インドやオランダでも科学の世界では英語を使います。

 そういえば10代のとき、初めてフランスに行ったら誰も英語をしゃべってくれなくてとても困りました。知人のイギリス人によると、「あれはしゃべれるけどあえてフランス語しか聞こえないふりをしているんだ」なんて言っていましたが、真偽のほどはわかりません。けれども、数年前にフランスを再訪したときは、多くの人が英語を解してくれましたし、英語でしゃべることに違和感も苦痛もなさそうでした。「フランス人が嫌っていたアメリカやイギリスの言葉」という認識が薄まってきたせいかな、とも思いましたが、考えすぎかもしれません。

 どうして日本人なのに英語で論文を書くかというと、理由は簡単で、たくさんの人に読んでもらいたいからです。外国人で日本語の論文を読むことができる人はごくごく少数です。これでは、自分の貴重な研究成果を読んでもらうことができません。でも、英語で論文を書けば、いまの医学者はほとんど英語の論文を読むことができますから、たくさんの人に読んでもらって評価してもらえるのです。

 日本の医者には「英語が苦手」と言って英語の論文を読むことができない人がときどきいます。しかし、現在主要な論文はほとんど英語で書かれていますから、これではまともに医学の学問はできません。確かに、日本は翻訳文化が進んでいるので、多くの英語の本が日本語に翻訳されていますし、論文も日本語のサマリーを提供するサービスがあります。でも、すべての教科書や論文が日本語に訳されているわけではありませんし、それに論文を検索したいときにはどうしても英語で検索しなければいけません。英語の論文を自由に読みこなす医者と読めない医者とでは、持っている情報量もその質も圧倒的な差が出ます。率直に言って、英語の論文が読めない医者は「医学知識」という観点においては大きなハンディキャップを持っています。

 もちろん、医者の価値は医学知識だけではありませんから、それだけでその人物の総合評価はできません。しかし、医者であれば、英語の論文を自由に読みこなせたほうがずっといいでしょう。手術が下手よりも上手なほうがいい、検査が下手よりも上手なほうがいい、患者さんとのコミュニケーションが下手よりも上手なほうがいいというのと同じような意味で、そうなのです。

感染症は実在しない(構造構成的感染症学)』岩田健太郎著より

読めばわからなくなる日本の新聞

 

 ところで、ニューヨークタイムズやザータイムズといったアメリカやイギリスの新聞を読んでいると、しばしば医学記事が載っています。最新の研究結果を一般のみなさんに紹介しているのです。例えば、「今週のNew England Journal of Medicineにはこんな論文が出ていた。それはこういう意味で、こう評価すべきで、これからの医学にこのような影響を与える」という解説記事を掲載し、医学が専門でない一般の読者にわかりやすいようにかみ砕いて説明します。CNNやCBS、ABCといったテレビメディアも同じようなことをします。

 しかし、日本の新聞記事やテレビのニュースで「今週のNew England Journal of Medicineでこのような発表があった」という紹介がされることはきわめてまれです。おそらく、医学を担当している科学部の記者たちもこうした学術誌を読んでいないのではないかと邪推します。たまにそういうニュースがあっても、それは「東京大学の誰々が今度こういう研究発表をScienceに出しますよ」という発表がほとんどです。要するに、日本の大学の先生がScienceに出すような研究をしましたよという話題がメディアにたれ込まれ、それを記事にしているのです。もっと言うと、記事のポイントは「日本の研究がScienceに載った」ことであって、その研究内容そのものではないのです。2008年に3人のノーベル賞受賞者が日本から出たときも、研究内容そのものはほとんど注目されませんでした。科学部の記者で原著論文を実際に読んだ人は、ほとんどいなかったのではないでしょうか。

 そして、日本のメディアの特徴その2は、学術誌の論文ではなく、学会発表を報道することが多いことです。ほとんどの新聞は学会発表、それも国際学会ではなく日本の国内の発表のみが記事になります。国際学会の内容が記事になるのはほとんど日本人が発表した場合に限定されます。これも、「日本人が発表したこと」そのものがニュースになっているのです。

 確かに学会発表は貴重です。しかし、価値としては学術論文のほうがずっと高いのです。どうしてかというと、学会発表は第三者の評価が十分にされずに出されますが(評価の対象はサマリーの部分だけです)、学術論文は第三者たる査読者が細かく吟味して、妥当な内容・発表であるか検証されるからです。学会発表よりも学術論文のほうがずっと質が高いのです。だから、メディアで紹介すべきは、むしろこちらのほうでしょう。

 残念ながら、医者でも英語の学術論文を読みこなせない人がいるのと同様に、科学部の記者にも英語の論文が読みこなせていない人がいるようです。これでは十分な情報の吟味、開示はできません。

感染症は実在しない(構造構成的感染症学)』岩田健太郎著より

一流誌の論文は無批判に受け入れられるか

 

 さて、ではNew England Journal of Medicineのような一流誌に載る科学論文であれば、誰が読んでも文句なしの完璧な研究発表なのでしょうか。実はそんなことはないのです。いや、このような一流誌に載っている論文は世界中の専門家が注目して読んでいますから、しばしばその欠点や問題点が指摘され、侃々諤々の議論の元になるのです。

 例えば、イギリスのI流医学誌The Lancetに、麻疹・風疹・おたふくかぜの予防接種であるMMRワクチンが自閉症の原因(の1つ)になっているのでは、という論文が掲載されました(Wakefieldら、1998年)。ところが、この論文の内容は現在では誤りで、MMRワクチンを接種しても自閉症を起こすことはないと考えられています。自閉症になった子どもの多くはMMRワクチンを事前に接種されていますから、MMRワクチンを打った後に、自閉症になったという事実が残ります。それが、いつのまにか「MMRワクチンのせいで自閉症になった」と解釈したことから起きた誤謬でした。これも一種の三だ論法といってよいでしょう。

 この論文はなんと、「掲載に値しない」という再評価がなされ、The Lancetは「この論文は掲載すべきではなかった」と遺憾の意を表明したのでした。

 まあ、このような極端な例はそんなにしょっちゅうは起きませんが、それでも一流誌に載った論文は完璧で無謬なんてことはありません。実は、すべての論文にはいくつもの瑕疵があります。瑕疵のない論文は皆無です。したがって、医者は論文を読んで、「へえ、New England Journal of Medicineでこんな論文が載っていた。じゃ、言われた通りに明日からこの薬を使っちゃお」なんてのんきな解釈はしません。どんな雑誌に掲載されようと、論文はきちんと読んで、それが妥当な科学的な言説であるのか評価しなくてはいけません。これを「批判的吟味」と呼びます。

 もちろん、科学論文ですから瑕疵をなくすために最大限の努力を医学者は行います。データの量はどう設定されているか、データの質はどうか、論文の解釈は妥当だったか、と厳しい吟味を重ねていくのです。

感染症は実在しない(構造構成的感染症学)』岩田健太郎著より

瑕疵があるから価値がある

 

 論文を読む上で一番大事だと私か思うのは、方法や結果ではなく、「制限」の部分です。英語ではこれをlimitationと呼びます。もちろん、研究において方法や結果は重要です。重要ですが、この部分よりも論文の価値の高い低いを区別するのにとても役に立つのが、論文の終わりのほう、考察の部分に出てくる「制限」なのです。

 制限とは、論文を書いた著者白身が「自分の論文にはこのような欠点がありますよ」と表明する部分を言います。科学者がいくら完璧な論文を書きたくても、いろいろな制約があるため、100%完璧な研究はあり得ません。研究費が不十分で検査のお金が足りなかった、時間がなくて十分なデータが集まらなかった、患者さんがあまり研究に参加してくれなかった……といった即物的な制限もあります。手術の効果を厳密に見るため、開腹するけど実際には手術をしないグループと比較する、という手術のやり方があります(これをシャム手術と呼びます)。メスでお腹を切って手術をしないというのは倫理的にどうなの?という批判もあります。現在、学術研究は内外の倫理委員会の認可を受けてからやるのが通常ですから、ときに倫理的な理由で、科学的な吟味としては少し問題があるけど、これ以上やると許されませんよという部分がどうしても生じます。これも制mの1つです。また、ある治療法がどんなに優れていても、その研究の対象者が白人だったり、男性だったり、中年の人が中心であれば「では、黒人や黄色人種ではどうなの? 女性では? 高齢者や小児ではどうなるの?」という疑問もわいてくるでしょう。いろいろな人種を集めて研究したとしても、「では腎臓に病気のある人ではどうなの?」とか、「こういう薬を飲んでいる人でやっても安全で効果があるの?」と細かい疑問は次々にわいてきます。すべての人に適用できる、すべての条件における疑問に答えられる臨床研究を行うことは、原理的に不可能なのです。どんなに素晴らしい一流誌に載っている論文でも瑕疵は必ずあると言ったのは、そのためです。

 瑕疵があることそのものは必ずしも学術論文の価値を落とすものではありません。瑕疵はあるのです。それは原理的に完全には排除しきれないのですから。

 では、医学者はどうしたらこの問題を克服できるのでしょうか。

 医学者にできる唯一のことは、瑕疵の存在を認め、それを認識し、それを開示することしがないのです。「私たちの論文は全力を尽くしてここまで新しいことがわかりました。でも、あれやこれやの欠点はあります。それをここに表明します」と言うよりはかないのです。

 瑕疵の表明こそが論文の価値を高めてくれます。

 でも、日本の学術論文には残念ながらこの「制限」をきちんと書いていないものが多いのです。日本発の学術論文の最大の欠点がここにあると私は思っています。「こんなことがわかりました」「こんな事実が出ました」といいことばかり書いて、その欠点を吟味しか議論がありません。これは質の低い論文です。欠点を表明した論文こそが質が高く、価値の高い論文で、「俺の論文って完璧」という論文はダメなのです。

感染症は実在しない(構造構成的感染症学)』岩田健太郎著より

バイアスの排除は原理的に不可能

 

 論文の評価をするときに大切なのは「バイアスを見抜く」ことにあります。バイアスとは、偏見、先入観のような意味を持つ英語です。論文はできるだけ客観的に、科学的に作るものですが、どうしても私たち医者は先入観を持っています。特に問題なのは私たちの主義・主張です。「この治療は効くと思う」「この検査はいいと思う」という思い入れがどうしても入ってきます。先入観が入ります。いくら虚心坦懐に誠実に、客観的に研究を進めようと思っても、私たちのバイアスは完全には排除できません。都合のいいデータは強調し、都合の悪いデータは過小評価したり、ひどい場合には隠蔽したり、データをねつ造したりします。

 2000年New England Journal of MedicineにVIGORと呼ばれる研究に関する論文が掲載されました。cox2阻害薬と呼ばれる鎮痛薬が関節リウマチの患者に効果的で、かつ従来の薬よりも消化管出血などの副作用が少ないという論文でした。ところが、この論文に出された研究データには、実は心筋梗塞などの副作用が起きていたことがわかっていたのです。しかし、なんとこの論文を書いた著者たちは、その事実をあえて隠蔽して提出したのでした。薬を製造し、研究のスポンサーになっていたメルク社が、自社の製品を売り出すために意図的に隠蔽したのでした。ビオックスと呼ばれるこの薬は、いったん承認、販売されていたのですが、このようなスキャンダルが明るみに出て承認を取り消されてしまいました。洋の東西を問わず、医学の領域だけでなく、このような隠蔽事件はしばしば起きます(明るみに出たものだけでも……)。都合の悪いデータは出さず、都合のいいデータだけ強調するといった微妙な隠蔽、ねつ造工作はしばしば行われます。

 このように、バイアスというのは研究の質を低めてしまいます。そこで、バイアスを排除するために、医者も工夫しました。

 まず、研究者にブラインド化ということを行いました。ブラインドとは「覆い隠して見えなくする」という意味です。ここでは、新薬を飲んでいる患者が誰かわからないようにするのです。例えば、吉田さんは新薬を飲んでいて、田中さんは飲んでいないとわかっていると、[新薬は効いていると思う]という主張をしている研究者が吉田さんだけえこひいさして丁寧に治療して、田中さんはぞんざいに診療しかねません。本人は「そんなことはない、みんな平等にやっている」と思っていても、無意識にそのようなことを行いかねないのです。

 出版バイアスというのもあります。「新薬の効果がある」という論文は掲載されやすいですが、「効かない」という論文はお蔵入りになりやすいのです。スポンサーになっている製薬メーカーが「それは出さないでほしい」と圧力をかけることもあるでしょうし、新薬は効くと信じている研究者が自分の学説を否定するデータを出したくないときもあるでしょう。これを防ぐために、現在諸外国では臨床試験を始める前に登録させることになっています。最初に登録した研究は、かならず結果を発表しなければなりません。そして、事前に登録しない研究は学術誌に掲載されないのです。これで出版バイアスを防正しようというのです。

 このように、いろいろとバイアスを排除する技術は進歩しています。けれども、原理的には、完璧にバイアスをゼロにする方法はありません。それは排除しようのないバイアスが存在するからです。

 それは、読み手のバイアスです。

 論文の質を下げるバイアスを排除するために、論文の書き手には様々な制約があります。一所懸命にバイアスを排除しようとするのです。しかし、論文の読み手には何の制約もありません。第三者機関の監査もつきません。読み手は自由に論文を読むことができます。斜め読みをするのも、行間まで読み込む構読も、タイトルだけ読むのも自由です。当然、誤読も自由に行うことが可能です。

 論文の読み手も、当然論文の内容・領域に高い関心を持っている人たちで、しばしばその道の専門家です(そうでなければ、面倒くさくて読まないでしょう)。で、当然読み手にも主義・主張があります。自分の主義・主張に合致した論文であれば、「よっしや、俺の言った通りじゃないか」と諸手を挙げて賛成するでしょう。多少の瑕疵には目をつぶるでしょう。あばたもえくぼ、というわけです。しかし、自分の主義・主張に反する内容であれば、「何だこの論文は。サンプルの数が足りないじゃないか。統計処理にミスがあるぞ。それにスポンサーはこの薬の製造者じゃないか。バイアスがかかっとる。わしや、こんな論文絶対に認めんぞ」となるわけです。要するに、最終的には読み手の好き嫌いが論文の評価を分けるわけです。

 私自身も、自分の専門領域に主義・主張があります。ですから、論文の読み方にも当然バイアスがかかっています。論文をほめたりけなしたりも、その主義・主張を土台にしていますから、到底フェアに公正に読んでいるとは言えないでしょう。

 医者の主義・主張そのものだって、バイアスになるに決まっています。そして主義・主張を全く持っていない医者なんて、金銭欲のない商売人くらいまれな事象ですから、それを排除することは不可能です。EBMは長らくバイアスとの戦いでしたが、そもそも研究者そのものにある内なるバイアスや、論文の読者に備わったバイアスは除去しようがないのです。だから、私たちにできるのは、そのような内なるバイアスに自覚的であり、それを明示することだけだと思うのです。「私は、がんは切ったらダメだと思い込んでいる主張を持っています」とか、「私は世の中のほとんどの害悪は薬害だと信じ込んでいます」とか。

 そのような自己内の主義・主張、信念を開示し、明示化することで逆にそれらは相対化されていきます。「しょせんそれは主義・主張、信念のなせる業じゃないか」といったん懐疑的に見直すチャンスが生まれるのです。これがうまくいく保証はどこにもないのですが、これ以外の方法もどこにもないと思います。

感染症は実在しない(構造構成的感染症学)』岩田健太郎著より

悪性黒色腫: メラノサイトの悪性腫瘍

 

 〔発生母地〕

 1)正常でメラノサイトの存在する部位〔de novo発生〕:皮膚〔表皮基底層・真皮・毛母上半〕、脳軟膜、眼球脈絡膜。

 2)色素l生母斑:その境界部母斑巣より。 MM に先行しだ色素斑”が色素l生母斑であったとの確認は実際上きわめてむつかしく、MM初期像〔MM in situ、 premalignant pagetoid melanosis〕やLMである可能性も高い。獣皮様母斑、 dysplastic nevus〔p。 357〕由来のものは確認は容易である。

 3)悪性黒子

 4)色素性乾皮症

 誘因:外傷・刺激〔切除・外傷・ドライアイス・注射・外傷性爪甲剥離・打撲・吸出膏・灸・靴ずれ・鶏眼切除・掻破・凍傷・穿孔傷・X線皮膚・熱傷瘢痕・日光障害〕・妊娠。

 人種差が大であり、白人に最も多く、黄色人種には少なく、黒人にはまれ。

 〔部位〕下肢特に足底に多く、頭顔頚部がこれに次ぎ、その他、眼球・口腔・脳膜に生ずる。

 〔症状〕黒色腫瘍で、色調は濃黒~青黒~赤黒色、多くは半球状~茸状、中央が潰瘍化し黒色痂皮を被り、易出血性。境界はほぼ明瞭であるが、周囲に色素がしみ出したようにみえることもある。赤味が強く肉芽腫状の像を示すものもある。しばしば周囲に散在性の小結節を生ずる〔衛星病巣(satellite lesions)〕。リンパ節転移をきたしやすく、また血行性に全身に転移して死亡する。

 〔病型分類〕Clark (1979)分類。

 1)悪性黒子黒色腫

 悪性黒子の局面上に丘疹・結節ないし潰瘍として生ずる。顔面等日光裸露部に生じ比較的予後は良い。LMのradial growth がvertical growth に移行し、異型性が高まり、多少のリンパ球浸潤を伴う。

 2)表在性拡大型黒色腫superficial spreading melanoma 〔SSM〕

 扁平隆起性斑状に拡大、色調は不均一で表面は軽度に凹凸を示し、部分的に自然退縮がみられる。初めは水平方向浸潤で異型メラノサイトが境界部からやや上層に胞巣をなし(radial growth phase)、やがて垂直方向にびまん性または胞巣を形成して侵入してゆく(vertical growth phase)。表皮内へも胞巣の上昇をみる。本型の前段階としてpagetoid melanoma in situ 〔SSM in situ〕といい、比較的小さい色素斑で、わずかに隆起し、不規則から弧状の境界を有し、色調も褐・黒・ピンク・青・灰色と不均一な局面が考えられている。
 3)結節型黒色腫nodular melanoma[NM]〔付図26-23〕

 腫瘤状~茸状隆起を示す。潰瘍化する傾向も強い。一様に黒褐色であるが、メラニンの色が全くなく紅色調を呈し、肉芽腫のようにみえることも少なくない〔無色紊院黒色腫amelanotic melanoma〕。比較的経過が早く、予後もあまり良くない。

 4)末端部黒子型黒色腫acral lentiginous melanoma

[ALM]=PSM melanoma 〔palmar-plat)  四肢末端〔足底〕・爪・粘膜に発し比較的日本人に多い。褐色調の斑として発し、次第に不規則に拡大するとともに色調も褐色から黒色まで不均一となる。部分的退縮もときにみられる。比較的早く真皮内へ浸潤してゆき、結節または潰瘍を形成する。爪黒色腫ungual melanoma では主病巣の周囲に不規則な褐~黒褐色小色素斑が散在する〔Hutchinson's sign〕。初期は基底層におけるメラノサイトの増数とメラニンの増量であるが、次第にメラノサイトの異型性が高まり、基底層部に連続性に連なり、とくに表皮突起尖端部で胞巣を形成、さらに進んで表皮上層・角層にも上昇、真皮にはリンパ球浸潤・メラノファージ・線維化がみられる。予後は悪い。

   悪性青色母斑malignant blue nevus :正常皮膚または細胞性青色母斑から発し、真皮~皮下にメラニンを含む双極性紡錘形細胞か増殖する。

   malignant melanoma of soft parts : 青成年の四肢〔足・踵〕の皮下に生ずる紡錘形腫瘍細胞の塊状・束状の増殖。メラニンメラニン染色で確認されることが多い。経過は長いが予後は不良。

 〔組織所見〕①異型性〔大型不整形核・豊富なクロマチン・核小体・ミトーゼ〕の高い腫瘍細胞が境界部より真皮に向かって増殖、②腫瘍巣は比較的大きく不規則に増殖、③メラニンを含有し、チロジナーセ・ドーパ反応陽性、④腫瘍細胞は大小不同、多形で、融合して巨細胞を形成、⑤上昇して表皮〔ときに角層まで〕中に散在性・集簇性にみられ〔散弾状buckshot scatter〕、⑥水平に周囲表皮内および附属器上皮にそって下方に異型メラノサイトが散在〔pagetoid〕、⑦リンパ球を主体とする細胞浸潤を伴い、またメラノファージがみられる。腫瘍細胞は紡錘形(spindle cell type)、小円形細胞型(small cell type)、類上皮細胞型(epithelioid cell type)と分けられる。

 深達度によりレベルを1〔表皮内〕・11[乳頭層]・Ⅲ〔網状層〕・IV〔網状層深層〕・V〔皮下組織〕と分け、後者ほど予後は悪い[C]ark]969]。 Breslow (1970)は組織をマイクロメータで測り、顆粒層より最深部腫瘍部までの長さを tumor thicknessとして、数値で示すことにしている。

 〔診断〕直接腫瘍にメスを入れる生検は禁忌。熟練した祝診に最も頼るべきである。あくまで組織学的診断を求めるなら、幅広くかつ深く健康組織を含めて広範囲に切除して標本を作る。メラニン尿の証明も一助となるが、これは辿常広範な転移を生じたさいに初めて陽性となる。

 〔鑑別診断〕黒子、ブロッホ良性非母斑性黒色上皮腫、色素性基底細胞腫、若年性黒色腫、毛細血管拡張性肉芽腫、有棘細胞癌、疣贅、血管肉腫、組織球腫、硬性線維腫、血腫、色素性母斑、グロームス腫瘍など。

 〔予後〕皮膚腫瘍中最も悪性で予後が悪い。まれに自然退縮。病型および初回の治療方法が予後にきわめて関係する。臨床的にstageを1〔原発巣のみ〕、2〔所属リンパ節およびそれまでのリンパ管内転移、衛星病巣〕、3〔所属リンパ節に接して遠位のリンパ節転移〕、4〔遠隔転移〕と分かち、後者ほど予後が悪い。部位別には末端部(acral)及び上背・上腕側後面・後頚側頚・後頭部〔upper back、 posterolateral upper arm、 posterior and lateral neck or posterior scalp-BANS〕に占位するものが他部位のものに比して悪い〔Sober 1983〕。

 〔自然退縮〕原発巣の部分的消退現象はまれではなく[13。8% McGovern]、とくにSSMとALMにみられる。その中央部が退色して灰白色、多少瘢痕状となり組織学的に腫瘍細胞の変性・消失、リンパ球浸潤、メラノファージ・線維化をみる。完全消退もあり、このときSutton現象、遠隔部の白斑発生などがみられる。

 〔治療〕

 1)予防処置と早期発見:5年治癒率をみると、転移なきもの〔第1期〕は40~50%、転移あるもの〔第Ⅱ期以降〕は6~8%となっており、転移以前に発見処理することの重要性が良くわかる。皮膚に「黒色腫瘍」を見た時には、気軽に電気焼灼・腐蝕・単純切除などせず、一度は本症ではないかを考えてみる。足底の色素性母斑はde novoに比して先行病変となる率は高くないが、 dysplastic nevusやpremalignant pagetoid melanosis のこともあり、心配しているより切除しておくのも一法である。

 


Side Memo

 5-S・CD (5-S-cysteinyIdopa)による悪性黒色腫の診断〔森嶋1989〕:①病巣表面一割面からのスタンプ蛍光法〔術前・術中の迅速診断〕、②病巣中の高値C〉lOOng/mg〕〔他の色素性腫瘍・母斑より有意に高値〕。③尿中値〔病勢と平行〕。④胸一腹水中値〔転移の証明〕。⑤穿刺吸引蛍光法〔早期発見〕。

 細胞核DNA量も色素性腫瘍の悪性度と相関を示し、診断に有用とされ〔大塚1988]、fas癌遺伝子発現もメラノサイトの分化と関連があるとされている。本症の疑いがあるなら、生検は行わず、次のいずれかの治療を行う。

 2)手術療法:広範な切除とその修復。

 3)放射線療法:軟X線・電子線でびらん反応まで照射〔1~2万R〕、ひきつづき広範囲に切除する〔放射線十手術療法〕、粒子線〔速中性子・陽子線など〕ではより少量で効果あり。

 4)抗腫瘤剤:DTIC〔dimethyl triazeno imidazole carboxaroide]、 BCNU[bischloroethyl nitrosourea]、 CCNU〔chloroethyl cycloheχyl nitrosourea〕、 methyl CCNU、 ACNU〔amino一methyl-pyrimidinyl methyl-chloroethyl nitrosourea hydrochloric、 Mitomycin C、 vincristine、 vinblastine、 hydroxyureaなど。このうちDTICが最も用いられ、 DAY〔DTIC 100~200 mg、 5日、 ACNUlOOmg、 1回、VCR 1 mg l回〕を1~5クール行うことが多い。

 5)免疫療法:BCG、 BCG-CWS、ピシバニール、レバミゾール、 PSK、インターフェロンなど。